ヴァイオリンは漢字で提琴(ていきん)と書きます。

じつは中国語でも提琴と書きます。

今どきはヴァイオリンのことを提琴という人もいませんね。
明治時代には様々な欧米の文物が輸入され、当時の人たちはふさわしい訳語を色々と考え出しました。

例えば正岡子規は野球用語をうまく日本語に訳しています。「打者」「走者」「四球」「死球」「直球」「飛球」・・・。この功績を称え、正岡子規は2002年に野球殿堂入りを果たしています。


natsume_souseki

日本の名作小説にみるヴァイオリンと提琴

明治~戦後の小説を読んでいると、たまにヴァイオリンのことが書かれていたりします。
夏目漱石の小説には、インテリが趣味として弾いている楽器として登場します。

『吾輩は猫である』では猫の目線から、飼い主(教師)のことをこう説明しています。
我儘で思い出したからちょっと吾輩の家の主人がこの我儘で失敗した話をしよう。元来この主人は何といって人に勝れて出来る事もないが、何にでもよく手を出したがる。俳句をやってほととぎすへ投書をしたり、新体詩を明星へ出したり、間違いだらけの英文をかいたり、時によると弓に凝ったり、謡を習ったり、またあるときはヴァイオリンなどをブーブー鳴らしたりするが、気の毒な事には、どれもこれも物になっておらん。
どうやら当時のインテリはこういう趣味を持っていて、周りの人から「先生素敵ですね!」とか言われていた(?)ようなのです(猫にはバカにされていますが)。

同じ夏目漱石の『三四郎』では里見美禰子というヒロインが演奏する楽器という位置づけでヴァイオリンが出てきます。
奥の方でバイオリンの音がした。それがどこからか、風が持って来て捨てて行ったように、すぐ消えてしまった。三四郎は惜しい気がする。厚く張った椅子の背によりかかって、もう少しやればいいがと思って耳を澄ましていたが、音はそれぎりでやんだ。約一分もたつうちに、三四郎はバイオリンの事を忘れた。向こうにある鏡と蝋燭立をながめている。妙に西洋のにおいがする。それからカソリックの連想がある。なぜカソリックだか三四郎にもわからない。その時バイオリンがまた鳴った。今度は高い音と低い音が二、三度急に続いて響いた。それでぱったり消えてしまった。三四郎はまったく西洋の音楽を知らない。しかし今の音は、けっして、まとまったものの一部分をひいたとは受け取れない。ただ鳴らしただけである。その無作法にただ鳴らしたところが三四郎の情緒によく合った。不意に天から二、三粒落ちて来た、でたらめの雹のようである。
里見美禰子はヴァイオリンを弾いたり、モデルになったり小説を書いたりといわゆる才人であり、当時としては知る人も少なかったはずの新約聖書の「マタイ伝」から「迷える子羊」という言葉を引用したり・・・。つまり彼女もやはりインテリなのです。
(注:青空文庫からの引用ですが、かたやヴァイオリン、今ひとつはバイオリンとなっています。)


太宰治の『人間失格』ではこう書かれています。
ことしの二月、私は千葉県船橋市に疎開している或る友人をたずねた。その友人は、私の大学時代の謂わば学友で、いまは某女子大の講師をしているのであるが、実は私はこの友人に私の身内の者の縁談を依頼していたので、その用事もあり、かたがた何か新鮮な海産物でも仕入れて私の家の者たちに食わせてやろうと思い、リュックサックを背負って船橋市へ出かけて行ったのである。

船橋市は、泥海に臨んだかなり大きいまちであった。新住民たるその友人の家は、その土地の人に所番地を告げてたずねても、なかなかわからないのである。寒い上に、リュックサックを背負った肩が痛くなり、私はレコードの提琴の音にひかれて、或る喫茶店のドアを押した。
こちらでは、「提琴」という言葉が使われていますね。

面白いことに、明治時代の夏目漱石ではヴァイオリン(バイオリン)。昭和の作品である『人間失格』では提琴です。
逆ならまだわかります。時代が古いほうが古めかしい言い方なわけですから。

しかし現実には時代的に新しいはずの『人間失格』で提琴という言葉が。

なぜ明治にヴァイオリン、昭和に提琴か

私なりに考えてみたのですが、夏目漱石は当時まだ目新しかった「ヴァイオリン」というものを無理に日本語に訳さず、外来語をそのまま使うことで新奇さとか、西洋の文物を進取の精神でもって積極的に取り入れている人物造形といったものを表現しようとしているのではないでしょうか。

逆にある程度ヴァイオリンが普及した昭和のころになると(昭和初期にはいわゆる江藤俊哉・諏訪根自子といった「天才少年」「天才少女」がヴァイオリニストとして活躍しはじめます)、当然ながら目新しさは薄れていきます。

そこでノスタルジックな雰囲気を逆に出そうとして(あるいはヴァイオリンのことをあえて「提琴」と古い言い方をする、ちょっとひねくれたインテリ風の人物を表現したくて)、太宰治は提琴という言葉を使ったのではないかと思われます。

おわりに

以上は個人的な考察になります。どこまで当たっているかはわかりませんが、調べてみたところとても興味深いと思いました。

もしヴァイオリンのことをもっと詳しく掘り下げてみたいという方がいらっしゃいましたら、以下の本が参考になります。
名匠ストラディヴァリとグァルネリに焦点をあて、18世紀から21世紀までヴァイオリンという楽器そして社会の変遷を語っています。
著者中野雄さんはケンウッド取締役を経て現在は音楽プロデューサー。自分でも何億円もするストラディヴァリウスを演奏してみたときの苦い体験談などが盛り込まれた、非常に面白い一冊です。