TBSドラマ『G線上のあなたと私』では、ヴァイオリン教師・久住眞於がこう語るシーンがあります。

「バッハのG線上のアリアはエモーショナルな曲で」、云々。

たしかに「G線上のアリア」は作曲から300年ほどが経過した今なお、バッハの生まれたドイツから遠く離れた21世紀の日本においても漫画とそのドラマの元ネタになるほどの影響力を持っています。

「G線上のアリア」は空港やデパート、病院など様々な場でBGMとして使われているだけでなく、昭和天皇崩御の際に様々なTV局が放送したり、9.11同時多発テロのあとに世界各地で行われた追悼コンサートでも広く演奏されました。

それもそのはず、この作品は祈りだったり悲しみだったり諦めだったり、演奏者の解釈によって様々な表情を見せることができます。
その意味で「エモーショナル」と評するのは的を射ていると言えるでしょう。

では「G線上のアリア」以外にバッハの作品で「エモーショナル」と言えるものはどんなものがあるでしょうか・・・?

やはりあの曲しかないのでは、という気がします。

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バッハの作品で最もエモーショナルな作品、『マタイ受難曲』

『マタイ受難曲』。マタイという人が災難に遭うという意味ではありません。
新約聖書は「福音書」「使徒行伝」「手紙」「黙示録」という4つの部分から成り立っています。
そのなかで「福音書」は「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」「ヨハネによる福音書」という4つの書物を総称しています。

マタイ、マルコ、ルカはそれぞれ似たような観点から書かれており、この3つをまとめて「共観福音書」ということもあります。

中でも一番重要な文書が「マタイによる福音書」です。新約聖書のうち最も多く読まれているのが「福音書」の部分であり、その中でもひときわ重視されているのが「マタイによる福音書」なので、新約聖書の根幹をなしていると言えます。

バッハは「マタイによる福音書」の記述をもとに、文字が読めない信者であってもイエス・キリストの受難(処刑)が分かるように、彼の逮捕から処刑、そして民衆の「彼はやはり神の子だったのだ」という深い後悔に至るまでを管弦楽団および合唱団つきの音楽で表現しました。

ここまでお読みいただくと大体想像がつくと思いますが、『マタイ受難曲』はバッハの代表作であり、上演にあたっても3時間はかかる超大作であります。

とくに荘厳なのは第1曲「来たれ、汝ら娘たち、来たりてともに嘆かん」。
これだけでも10分はかかる大作で、混声4部の合唱が左右に分かれて8部となり、さらにボーイソプラノが加わって9部の大合唱となります。




ある音楽プロデューサーは、上記カール・リヒターの厳しい演奏を評して「秋霜烈日」という表現をしていました。このレコーディングは『マタイ受難曲』演奏史上でもひときわ名高いものであり、きりりと引き締まった表現のなかに指揮者リヒターの求道的とも言える強い意思が感じられます。

『マタイ受難曲』、なにがどうエモーショナルなのか

そもそも聖書の記述やイエス・キリストの受難にエモーショナルという言葉を使うことがふさわしいかどうかは別として、たとえクリスチャンではなくても聴いているうちに引き込まれるものであることは間違いないでしょう。

音楽評論家、宇野功芳さんは著作『クラシックの名曲・名盤』でこう述べています。
音楽大学に入ってから、宗教音楽研究会という合唱団が「マタイ」を上演する、というので、友だち数人と参加し、半年練習に通い、舞台に立った。コーラスのメンバーは僕らを除き、全員アマチュアだが、その熱心さはすばらしく、本番の演奏は実に感動的だった。

カットしても二時間半かかる大作だが、うたっていると胸が震え、終曲では涙があふれて止まらなくなった。僕だけではない。全曲が終わってあたりをみまわすと、ほとんど全員が目を真っ赤にしている。そのなかの一人が、「あーあ、もうマタイも終わってしまった。つまらないなあ」とつぶやいた言葉が印象的だった。
『マタイ受難曲』は、「マタイによる福音書」のうち、有名な山上の垂訓などは触れられておらず、イエスが「私はまもなく逮捕されるだろう」という近い未来を語る場面(「マタイによる福音書」の後半部分)から始まり、香油を注ぐベタニアの女のお話から最後の晩餐、ゲツセマネの祈り、逮捕と裁判、そして処刑までを描いています。

香油を注ぐベタニアの女のお話では、貧しい女がイエスのために香油を足に注ごうとすると、「香油を準備したお金を別のことに使えば、もっと社会のために役立つことができたのに。例えば貧しい人のためにお金を配るとか・・・」とユダが指摘します。
しかしイエスは「彼女なりに私のことを思ってやってくれたことだ」(あくまでもこのやり取りは大意です)と諭します。

ここでは「実利」と「愛」の対立が描かれており、つまり人間にとって大切なのは「お金」か「愛」のどちらだろうという問いかけでもあります。

これは人間にとって永遠の課題とも言える「問い」であり、バッハはその場面をも音楽で再現しようとしています。

その後イエスが逮捕されると、弟子たちは一目散に逃げ出してしまいます。
「新約聖書」では、逮捕されたのはイエスだけで、残りの弟子たちは姿をくらましたり、自分の師匠を否認したりして不問に付されてしまいました。(オウム事件のときは麻原彰晃だけでなく主要な幹部たちも軒並み逮捕されたのと比べると、たしかにリーダーだけが逮捕されるのは不自然ですよね。)

作家・遠藤周作さんは『イエスの生涯』という本において、「弟子たちはペテロ以下全員が自分の命が惜しくて師匠を売ったのだ」という推理を披瀝しています。

こういう深い読みを念頭に『マタイ受難曲』に耳を傾けると、何気ない管弦楽のわずかな動きにもイエスや弟子、民衆たちの心の動きが音で表現されているようであり、バッハはやはり「音楽の父」であったことがわかります。

おわりに

この記事ではバッハのエモーショナルな作品は何か、を考えるために作成しましたが、やはり『マタイ受難曲』のほかにないだろうと思い、この一作だけに絞りました。

『マタイ受難曲』の中でも最も有名なのは前述のとおりカール・リヒターによるものですが、全曲盤はハードルが高いかな、という方は抜粋版CDもありますのでそちらもご検討ください。

また、歌詞はドイツ語ですがまれに歌詞対訳が付いていないCDもありますので、購入の際は事前にその点をお調べいただくのが良いかと思います。(中古CD店の場合、盤面検査のためにケースを開けて中身を見せてくれるところもありますので、その時に対訳有無もチェックするのが良いでしょう。)


バッハは「G線上のアリア」や「主よ、人の望みの喜びよ」のようなポピュラーな作品から『マタイ受難曲』のような大作まで幅広く手掛け、しかも駄作がないという点で歴史上燦然と輝く作曲家と言えるでしょう。

私も『マタイ受難曲』を真剣に聴き始めたのは今年(2019年)になってからですので、もっとじっくりこの作品について調べていきたいと思います。