池田理代子先生の代表作である『ベルサイユのばら』。
この作品の第1巻ではマリー・アントワネットが歴史やフランス語、ピアノ、歌など様々な教育を受ける場面があります。

ところがマリー・アントワネットはどの勉強も嫌いです。
つぎはグルック先生のピアノなのよ なんとか作文の時間にかえていただけるようにたのんでもらえないかしら?
そういって色んな勉強から逃げようとする姿が描かれています。

このグルック先生は、クリストフ・ヴィリバルト・グルックだと思われます。

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「グルック先生」、どんな人なのか

ウィキペディアにはこう書かれています。
クリストフ・ヴィリバルト・グルック(Christoph Willibald (von) Gluck, 1714年7月2日 - 1787年11月15日)は現在のドイツに生まれ、現在のオーストリアとフランスで活躍したオペラの作曲家。バレエ音楽や器楽曲も手懸けたが、現在では歌劇《オルフェオとエウリディーチェOrfeo ed Euridice 》によって、中でも間奏曲〈精霊たちの踊り〉によってとりわけ有名。オペラの改革者として歴史に名を残す。ただし、ドイツ語オペラは1作も書いていない。
1773年に、音楽教師として仕えていた皇女マリー・アントワネットに従い、パリに移る。同地で《オーリードのイフィジェニー Iphigénie en Aulide》などの作品が上演されると、評論家の意見は評価をめぐって二分した。
このような記述があることから、グルック先生とはこの人物のこととみて間違いないでしょう。

ドイツ語オペラは書いていないとのことですが、当時はオペラはイタリア語で作られることが常識だったためと思われます。
古典派の重要な作曲家を4名挙げよ。もし音楽史のテストでこう問われたら、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの3人はすぐに出てきますが、あとの1人がグルックだと大体相場が決まっています。

シューベルトはどうしたの、と思われるかもしれませんが、彼はロマン派(古典派のひとつ後の時代)に属しているので、誤答となります。

代表作である歌劇《オルフェオとエウリディーチェOrfeo ed Euridice 》も今ではほとんど上演されることはありませんが、「精霊の踊り」はどこかで耳にしたことがあるはず。



三つ子の魂百まで? マリー・アントワネットの性格が子供時代にものぞく

冒頭では家庭教師の授業をなんとかして免れようとする場面をご紹介しました。
このように自分の義務からどうにか逃げ、ラクな方向へ行こうとする性格は、フランス王家に嫁いだ後でも宮廷のぜいたくな生活に浸り、やがてはギャンブルにまで手を出して大金をすってしまうという形に増幅されてしまいます。

自らの美貌や愛くるしさが最大の特徴で、誰からも好かれるだけの器量があったマリー・アントワネット。
反面で弱い心に負けがちだったという点は本来ならオーストリアにいるうちに矯正しておかなくてはならなかったのに、そのままルイ16世と結婚してしまいました。

当時はもう貴族社会を支えるだけの富がフランス社会から失われつつありながらも、財政とは不釣り合いなぜいたくを身に着けてしまったというのも不幸の元だったと言わざるをえません。

もう50年早く生まれていたらぜいたく三昧で一生を過ごすことができていたかもしれない(それもそれで迷惑な話ですが)と思うと、彼女も彼女なりに歴史や時代に翻弄された1人の人間だったのだとふと思ってしまうのでした。