2018年8月4日からフジテレビ系列で放送中の渡辺麻友主演ドラマ「いつかこの雨がやむ日まで」。
引き続き、主観ばかりですが第6話について気づいたことを書いていきます。

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(ひかりに問いかける天竺要。画像はFODより管理人キャプチャ。以下同)

少女から女性へ。ひかりの決意

第6話は大きな転機となる回でした。第5話で和也と結ばれたひかり。
そのひかりが代役としてミュージカル「ロミオとジュリエット」のジュリエットに抜擢されます。

天竺要はひかりに諭します。
「絶望。恐怖。怒り。苦しみ。荒れ狂う負の感情をお前は胸の奥深くに沈め、暗くて狭いカゴの中でじっと息を潜めて生きてきたはずだよな。さらけ出せ。人に知られたくない自分を全部。
ただし。カゴの外の世界が光で溢れているとは限らない。さらにもっと深い暗闇が待っているかもしれない。それでもお前は扉を開ける覚悟があるか?」

ひかりは答えます。控えめながらもはっきりと。
「はい。やらせてください、ジュリエット。」

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(ひかりは静かな決意を胸に秘める)

この時、ひかりは後戻りのできない橋を渡ってしまいました。
プロの女優として羽ばたくためには、いつか自らの力でカゴの外へ出なくてはならない。
そのための決意を固めた瞬間ではないでしょうか。

私は「いつかこの雨がやむ日まで」について記事を書く時、様々な古典と言われる絵画や音楽の表現をヒントにしています。過去の作品で実践された表現が、現代にどう(クリエイターが意識しているにせよ、していないにせよ)形を変えて生きているかという、過去と現在の呼び交わしの一例として、渡辺麻友なり「いつかこの雨がやむ日まで」を見ています。

こうした見方はTVドラマを捉えるにはちょっと大げさでしょう。あくまでも私なりの主観としてご理解頂けると幸いです。

さて第6話のひかりを見ていると、私はどうしてもラファエル前派の画家、ホルマン・ハントの「良心の目覚め」という絵画に出てくる女性を連想してしまいました。

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(出典:https://www.tate.org.uk/)

ラファエル前派の画家、ホルマン・ハント(1827-1910)が描いた代表作のひとつで、現在はロンドンのテート・ブリテンに収蔵されています。
この作品は、男性とその愛人が描かれています。現に女性は結婚指輪をはめていないことが読み取れます。

背景の鏡には光に満ちた外の世界が描かれています。その一方で部屋の中には、ガラスに閉じ込められた時計やほつれた糸など、束縛をイメージさせる物で溢れています。

女性はピアノを弾いていてふとした良心が目覚め、男に囲われた日々を抜け出して広い外の世界へ歩みだそうとする。そんな一瞬を切り取ったのがこの作品です。

しかし「カゴの外の世界が光で溢れているとは限らない」。
「良心の目覚め」でも、捕われた鳥で遊ぶ猫が描かれています。ハントは、外の世界は残酷だぞ、外に出ればお前もこの鳥のような目に遭うぞ――そう女性に暗に告げているかのようです。

それでも表現者として自分を確立するためには、危険を冒してでも外に踏み出さなくてはならない。変わり続けなくてはならない。舞台に立つ者の務めを果たすとはそういうことなのでしょう。

天竺芽衣(宮澤エマ)がひかりに「変わるくらい何よ」と言うシーンがありますが、年長者として、自分と同じ道を辿ろうとする彼女を優しくフォローする気遣いが感じられました。

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(舞台人は変わり続けるのが定め?)

そして第6話後半では、ひかりは愛すべき人、和也に対してついに宣言します。
「ジュリエットをやりたい衝動を抑えられない。長い間ずっと閉じ込められていた暗い場所から出たい」。
女優としてのはっきりとした自覚が芽生えつつあるようです。

芸術とエゴ、そして狂気

和也がひかりのもとへ去ろうとする姿を見て、沙耶も平静ではいられませんでした。
なんと沙耶も劇団ウミヘビの入団希望者となり、ひかりをつぶさに見ることになりました。
沙耶は何としてでも和也を自分のもとに留めておきたい、そうした(重苦しい)愛が感じ取れます。

「必ず戻ってくる」。沙耶は和也にそう語ります。
現に、ジュリエットを演じるひかりを目撃してしまった和也は、ひかりの姿に衝撃を受けました。
暗い情熱を秘めたひかりの歌唱。そして「もし犯人でも天竺さんの下でジュリエットを演じたい」という、表現者としての志が和也の(というよりも一般市民の)常識とかけ離れており、受け入れがたいものがあったのでしょう。

動揺する和也に「おかえりなさい」と囁く沙耶。この二人はあくまでも「市民」の立場であり、表現者として歩まざるをえない天竺要やひかりとはやはり異なる人物像のようです。

劇団員と不適切な関係を持った人物でも、たとえ殺人事件の犯人であっても構わない、という考えは私たちにはただちに納得しづらいものがありますが、芸術家とはそうしたドロドロとしたエゴを昇華して表現にしてしまう定めなのでしょう。

芸術家の定め~ピカソの場合

ピカソもその典型例。「ゲルニカ」はナチスを批判した絵画だとされていますが、じつは自分の浮気を作品に織り込んでいます。
「ゲルニカ」制作当時、妻以外にも複数の女性と関係していたピカソは、アトリエで愛人ドラとフランソワーズが鉢合わせしてしまうという事件が勃発し、阿鼻叫喚の世界になったと伝えられています。

ところがピカソはその様子をスケッチし、「泣き叫ぶ女」「ランプを持って吠えているような女」として「ゲルニカ」に紛れ込ませています。ピカソ自身も女たちに殴られて倒れる男として、画面左下に登場しています。

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(出典:http://guernica.museoreinasofia.es/)

このように芸術に携わる人は私達の常識とかけ離れた感覚で表現活動に取り組んでおり、意識のズレがたとえば和也とひかりの間に不協和音を生み出したり、天竺要のように社会的に問題のある行動を引き起こしたりするようです。

おわりに

「いつかこの雨がやむ日まで」もいよいよ佳境に入り、様々な立場、思惑が交錯してドラマチックになってきました。
本作のヒロイン、渡辺麻友の演技にも注目しつつ、併せて、ぶつかり合う様々なエゴや狂気に引き続き注目していきたいと思います。


参考文献:
千住博「名画は語る」 キノブックス


関連記事:渡辺麻友主演「いつかこの雨がやむ日まで」闇深い第1話の感想。
渡辺麻友主演ドラマ「いつかこの雨がやむ日まで」第2話の感想

注:本作品は【フジテレビオンデマンド】 でも配信されています。登録すると1ヶ月無料とのこと。