文藝春秋社から刊行されている、清原和博「告白」。

この本には元プロ野球選手として実績を残した彼が覚醒剤に手を染めてしまい、心に闇を抱えるようになった経緯などが書かれています。

清原はメンタルが弱いことは、現役時代からたびたび指摘されていました。
もちろん、大観衆を前にして自分の技能を披露するわけですから、普通の人よりもメンタルははるかに強い。

ところが大事な場面で実力を発揮できなかったりすることもあり、まるで英雄アキレウスやジークフリートにも弱点があったように、彼のメンタルにも死角がありました。

そこに覚醒剤が忍び寄り、人生の歯車が狂ってしまったようです。

彼の告白に耳を傾けていると、ストイックであることの難しさ、メンタルを保つことの難しさを改めて実感しました。




清原もメンタルの弱さを自覚していた

清原はPL学園出身。甲子園での活躍を経て西武ライオンズそして巨人と渡り歩くうち、華々しい実績を上げました。
彼はここ一番の大勝負で大観衆からの声援を浴びると一気に実力を奮い立たせる反面、そうした条件が整っていないと途端にモチベーションが低下してしまう傾向があったようです。

そしてそのことを自分でコントロールできないという弱点がありました。
彼もその弱点は自覚していました。

巨人時代の戦友である松井を評して彼は語ります。

一番の(松井と)僕との違いはメンタルの強さだったと思います。いつも同じように球場に来て、同じように球場を去っていく。そういう姿に「こいつすごいな」と思っていました。

例えば大チャンスに打てなくてチームが負けても、淡々としているんです。松井とはロッカーが近かったのでわかったんですけど、あいつはホームランを打った日もまるっきり打てなかった日も同じように淡々と着替えて、同じようにスパイクを磨いて帰っていくんです。感情を見せないんです。
このエピソードからも対照的なように、清原はファンからの声援で実力を発揮できるものの、そうした応援の有無といった環境や自分の感情に左右されやすい。
松井はその日の実績に一喜一憂せず、ストイック。常に冷静です。

清原が薬物に手を出してしまったような、心の弱さは誰にでもあります。もちろん私にも・・・。
幼いころのヒーローの再起を期待する一方で、こうした生々しい「人間」の姿を見てしまうと、自分が範としている古代ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの著作「自省録」に盛り込まれたストイックな哲学を日々の暮らしの中で実践することの難しさが身にしみるのでした。

マルクス・アウレリウスは「自省録」冒頭でこう述べています。
アポローニウスからは、独立心を持つことと絶対に僥倖をたのまぬこと(を学んだ)。たとえ一瞬間であっても、理性以外の何物にもたよらぬこと。ひどい苦しみの中にも、子を失ったときにも長い患いの間にも、常に同じであること。
何気なく読み飛ばしてしまいそうな言葉ですが、「ひどい苦しみの中にも、子を失ったときにも長い患いの間にも、常に同じであること」は、清原の例を見ればお分かりのように極めて難しいもの。

サラリーマンでも仕事のプレッシャーに耐えかねてうつ病になったり、自殺したりというのはよくある話です(もちろんそんなことがあってはならない。社員を自殺に追い込む会社は糾弾されるべき)。

一体どうやったら常にメンタルを一定に保ち、松井のように平常心でいられるのか。
私もヴァイオリンを携えて舞台に上がる時、緊張のあまり右手が震えて音がかすれてしまいます。
強いメンタルを獲得するために、日々考察を重ねていきたいと思います。


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