浦久俊彦氏著「悪魔と呼ばれたヴァイオリニスト」(新潮新書)。
キャッチコピーはこうあります。

守銭奴、女好き、瀆神者。なれど、その音色は超絶無比ーー

この本はありそうでなかったパガニーニの、日本初の伝記だそうです。

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(画像:https://en.wikipedia.org/wiki/Niccol%C3%B2_Paganiniより)

悪魔と呼ばれたヴァイオリニスト

パガニーニ。
19世紀に活躍したヴァイオリニストであり、全身黒ずくめの衣装で舞台に登場し、信じられないような超絶技巧でウィーンやパリ、ロンドンなど各地の聴衆を熱狂させ、一時代を築きました。

彼の代表作である「ヴァイオリン協奏曲」や「カプリース」は一流音楽大学に挑戦しようとするヴァイオリン学習者は必ず通らなくてはならない試練の道。
こうした曲は当時のいわゆる普通のヴァイオリニストの演奏水準を大幅に越えるものでした。

いつしかパガニーニはミステリアスな風貌とも相まって、その超絶技巧から「悪魔」と呼ばれるようになっていったのです。彼の死後、教会から埋葬を拒否され、死後数十年ヨーロッパ各地を遺体となって転々としました。


パガニーニのセルフブランディング戦略

この本で興味深いのはパガニーニの数奇な生涯にとどまりません。
浦久俊彦氏は彼のことをセルフブランディングの観点から描き出し、彼がいかに自分を売り込むか冷徹に分析していたことを示しています。

自分の技巧を最大限発揮できるような曲を自ら作曲し、他人には決して楽譜を渡そうとしなかったこと。

コンサートのプログラム構成や演出にもこだわりを見せ、たとえばウィーンではゆかりのハイドンの主題による変奏曲をプログラムに入れて聴衆の気を引こうとしていたこと。

自身のミステリアスな佇まいを利用し、黒ずくめの舞台衣装で登場し、謎めいた雰囲気をかきたてていたこと。

こうした彼の振る舞いは、音楽家に新しい時代が来たことを予兆するものでした。

19世紀最大のピアニスト、リストはパガニーニの演奏に触れて驚嘆し、「ピアノのパガニーニになる!」と言ったそうです。浦久氏はこう書きます。
リストはパガニーニのなかに未来の音楽家の先進的なモデルを見いだしていたのだ。
すなわち、リストはパフォーマンス時代(=演奏家の世紀)の到来を予見していた。
「パフォーマンス・アーティスト」が音楽界の主役となる時代がやってくることを、彼はすでに予感していたのだ。
彼の直観は的中しました。

20世紀の大指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤンはそのダンディな風貌と目を閉じての神秘的な指揮姿で一世を風靡しました。彼の優れたオーケストラ統率力は言うまでもありませんが、音楽以外でも彼の指揮姿が印刷されたレコードはまさに「クラシック音楽」の一般的イメージを体現するものでした。
彼のレコードは発売すればほぼ必ずベストセラーとなったのです。

パガニーニはデーモン閣下の走りか

さてそのパフォーマンス・アーティストですが、20世紀のポピュラー音楽、とくにロックバンドでも次第に音楽表現の斬新さ(例えばビートルズが当時としては最新技術だったシンセサイザーやマルチトラックレコーダーを使って実験的レコーディングを行っていたように)というよりもむしろ音楽にヴィジュアル性をかけ合わせたアーティストが活躍するようになります。

例えばアメリカのロックバンド、KISSがそうですね。彼らは悪魔のメイクで演奏を繰り広げています。
悪魔といえば忘れてはならない聖飢魔II。黒ミサ(ライブ)を通じて悪魔教を布教し、1999年(魔暦元年)、地球征服を完了しました。

リーダーのデーモン閣下は今も健在。彼の姿は多くの信者から尊敬されています。

このようにパガニーニ以降、現代に至るまで音楽そのものにとどまらず、音楽を「どう見せるか」が興行の重要な要素となっています。

こう考えると、パガニーニはデーモン閣下の走りだったのかもしれません。

「悪魔と呼ばれたヴァイオリニスト」は、パガニーニという稀代のヴァイオリニストの姿を描くにとどまらず、演奏家のセルフブランディングにまで踏み込んだ、きわめて興味深い一冊と言えるでしょう。



ご参考動画
(ヒラリー・ハーンによるパガニーニ「カプリース」より24番)


(デーモン閣下による「そばかす」。本家ジュディマリを凌ぐ?)