こんにちは! ぼくは友だちいないマンだよ!\(^o^)/ 
ぼっちだよ!\(^o^)/ 
今日はクラスに友だちがいないことについて考えてみたよ!

shingakki_classgae

クラスに友だちがいない、ぼっちでも気にしなくていい件

学校にいると、クラスの人間関係が世界のすべてに感じられがちです。
何しろ一日のほとんどを過ごすのが学校。クラスによって分けられた教室の自分の席に座り、毎日が固定された人間関係の中で毎日を生きることになります。

遊びに行くことがあっても、クラスや部活のいつメンばかり。

となると、クラスに友だちがいないのはとても致命的なことに感じられたとしても不思議ではありません。友だちいないマンのように帰宅部だったりするとほんとに友だちがいないまま1年が過ぎていきます。

それでも気にしなくていい

前の記事でも書きましたが、いつメンなんて一時的な人間関係です。この記事は大学での人間関係について書いていますが、同じことは中学、高校でも当てはまります。進学先が違えば自然と疎遠になって消えていってしまう人間関係なのです。

大事なのは、「自分はいま、クラスや学校といった、日本全国と比べてみれば小さなコミュニティにいる。その中で自分の人気や立ち位置、キャラが周りの空気によって勝手に決められている」ということです。
ですが、クラスや学校なんて、社会全体と比べてみれば本当に小さなものです。
現に、リアルではほぼ100%会うことはないであろうあなたが、この友だちいないマンの文章を読んで下さっています。いやー社会は広いですね!!

夏目漱石もこう言っている

夏目漱石の小説「三四郎」には、こんな文章があります。
「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。
「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」
 この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。
これは、作品の主人公三四郎が進学のため東京へ向かう列車の中の場面です。
列車で一緒になった男が「熊本より東京は広い」と三四郎に語りかけています。

そう。クラスや学校より日本社会は広く、日本よりも世界は広い。
そして世界のすべてよりもあなたが思い描くことのほうが広くて深いのです。

このブログをiPhoneでお読みでしょうか。であれば、iPhoneという機械がたった一人の人物のアイデアによって生み出されたこと、そのことで全世界に影響を与えたことが「頭の中の広さ」を証明しているはずです。

そう考えると、クラスに友だちがいないことはとても小さなこと。ぼっちは受験に有利という記事でも書きましたが、ぼっち=一人の時間が持てる=勉強に集中できるわけです。
今は一人ぼっちでも、自分の所属するコミュニティは、勉強して一気に飛び越えることができます。
コミュニティが変われば自分もきっと変わります。

「逃げるは恥だが役に立つ」。これはハンガリーのことわざで、「戦う場所はちゃんと選べ」ということを言っているようです。自分がいるべき場所を賢く選ぶことで、自分の持ち味を発揮できればよいではありませんか。いまは一人ぼっちでも、花を咲かせられる場所はきっとどこかにあるはずです。


一人ぼっちのあなたは寂しさの味を知っているはず。
そんなあなたは、他の人にきっと優しく向き合うことができるはず。

今日はそう思ってこの記事を書きました。
この考え方が誰かに届きますように。