柏木由紀さんが2020年10月12日に更新したnote「風に吹かれて運ばれてくる香り」がとても文学的なお話なので備忘録的にブログ記事化いたします。

彼女は10月になって金木犀の香りが漂っていたのに、季節の移り変わりなのか、天気のせいなのか、匂いがいつの間にか消え失せてしまったことに寂しさを感じたとつづっています。

そこに言葉を続けて、

金木犀といえば。

母が金木犀の花が好きだということを知った小学校低学年の頃、学校の帰り道に通学路沿いに落ちていた金木犀の花を少しだけ持ち帰り、母に渡していたことをふと思い出しました。

画用紙で袋を作って、その中に花をいれて宝物袋みたいにしていたような。

(https://note.com/yukirin_official/n/nbd35e56d3820より)
という思い出を語り始めます。どうやら子供の頃、金木犀の花を集めてサシェ(香り袋)を作っていたようですね。

香りを手がかりにして昔のできごとを思い出すというのは、フランス文学の名作、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の有名なマドレーヌの挿話でも見られます。

ある冬の日に家に帰ってきた主人公は、母が出してくれた熱い紅茶にマドレーヌを浸して口に含んだ瞬間、「素晴らしい快感に襲われ、何か貴重な本質で満たされ」たと感じます。

最初はそれが何だかわかりませんでしたが、少しずつ子供の頃、親戚の叔母がハーブティーに浸して出してくれたマドレーヌの味だと記憶を探り当てます。
と同時に、生まれ育ったコンブレーという町の思い出がまたたく間に蘇ってくるのでした。

そしてまもなく私は、うっとうしかった一日とあすも陰気な日であろうという見通しとにうちひしがれて、機械的に、一さじの紅茶、私がマドレーヌの一きれをやわらかく溶かしておいた紅茶を、唇にもっていった。しかし、お菓子のかけらのまじった一口の紅茶が、口蓋にふれた瞬間に、私は身ぶるいした、私のなかに起こっている異常なことに気がついて。すばらしい快感が私を襲ったのであった、孤立した、原因のわからない快感である。

(『失われた時を求めて』第1巻より)
このように、人は普段意識していなくても、香りとか味などの感覚的なものは脳にしっかりと刻み込まれていて、自分がむかし感じたことは長い年月が経っていても同じ感覚が引き金になって即座に記憶をリロードできるようなのです。

じつは私自身も先日お通夜・葬儀に参列したとき、およそ20年ぶりに従姉妹に会ったところ、昔と同じ香り(従姉妹の家の匂い?)がしていて、子供の頃のできごとがみるみるうちに脳裏に再生されるという体験をしたばかりでした。

柏木由紀さんも今回のnoteでこの花に寄せる愛着、秋という季節への詩的な思いを公にしているように、誰もが10月から11月にかけて自分の内面を見つめ、はるかかなたにあるはずの「何か」を探し求める感情が湧いてくるようです。

さて、私も読みかけの夏目漱石『行人』を読みすすめましょうかね・・・。