渡辺麻友さんのファーストシングル「シンクロときめき」は2012年2月にリリースされました。

もう8年も前の曲ではありますが、のちにミュージカルのナンバーをコンサートで、そして天王洲銀河劇場でも女優として披露することになる渡辺麻友さん。残念ながら引退してしまいましたが・・・。

ファーストシングルつまり歌手としての彼女のあゆみの起点になるだけに「シンクロときめき」は非常に興味深いものがあります。

その「シンクロときめき」に収録されている「三つ編みの君へ」
私なりに考えた、この作品のポイントをお話したいと思います。

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「三つ編みの君へ」の世界観について

いつものように秋元康さんが歌詞を書いている「三つ編みの君へ」では、当時の渡辺麻友さんの年齢や状況を考えながら作詞されたもののように思えてなりません。

渡辺麻友さんは1994年3月26日生まれですから、CDリリースのおよそ1ヶ月後に18歳になります。
となると社会的には高校を卒業し、進学や就職を控えた時期にあたる、そういうタイミングでこの楽曲が与えられたということになります。

歌詞にも「卒業後に何をするか いっぱい夢を語った」と書かれていることから、歌詞に表現されているのはまさに旅立ちの日を前にして最後のひとときを過ごそうとする若い二人の様子を描いたものに他なりません。(当たり前ですよね・・・。)

しかし「僕」は最後だというのにその思いを飲み込んで何も言わず、「思い出になろう」。

こういう曲は、中学生が歌っても、大学生が歌ってもいまいちピンと来ないものです。
「ある時」に巡り合わなければ輝きを放つことができない表現というものはあるはずです。
「三つ編みの君へ」は、渡辺麻友さんが歌い手だとするならばこのタイミング以外でのリリースはあり得なかったと言っても過言ではないでしょう。

のちに渡辺麻友さんは「三つ編みの君へ」を何度か披露していますが、私が耳にしたときはいつも決まってバラードになっていました。

原曲のテンポではなくあえてバラードにしているのは、かつてこの曲を18歳になろうかという当時の自分を慈しんでいるかのようにも見えてなりませんでした。

アイドルという職業にとっての「時」の貴重さ

私は渡辺麻友さんの楽曲「夕暮れと星空の間」の世界観について思うことという記事で、「夕暮れと星空の間」には2つの時間が流れていると書いたことがあります。

「三つ編みの君へ」では流れている時間はひとつ。「今」です。
「いつの日か思い出して」のように、将来のことを想像する場面があるものの、それは語り手である「僕」の想像上のことですから、実在する時間は「君」と湖畔を歩いている「今」しかありません。

その意味で「夕暮れと星空の間」は「三つ編みの君へ」よりも重層的であり、大人な楽曲だとも言えるでしょう。
ただし「三つ編みの君へ」は本来の姿で表現できる年齢が非常に限られるものですから、アイドルにおける「時」の価値はこの上なく貴重であるとも考えられます。

今しかできない表現を、精一杯「いま」という瞬間にぶつけること。これは舞台に立つ人すべてに共通する姿勢ですが、まだ18歳なのに「もう18歳」と往々にして生き急ぐアイドルの姿から学べることは多いはずです。

私もずいぶん昔に高校を卒業して青雲の志とかいうものを抱いて上京しましたが、あのときの自分に恥じないように生きて行きたいと、「三つ編みの君へ」を聴きながら思いを新たにしました。






(やがて私は高い志から出発したはずなのに、「なぜ俺は何度も後悔や反省、決意を繰り返した挙げ句同じ失敗を性懲りもなく繰り返すのか」という謎に突き当たり、解決できないままそのままなし崩しに年を重ねてゆくのでした。)