私がいたく応援している(芸能活動から引退したので、していた? しかし過去形にするのも惜しい!)渡辺麻友さんの楽曲「夕暮れと星空の間」

シングルCD「出逢いの続き」は2015年にリリース。
表題曲のカップリングとして収録されているこの曲は2015年当時の渡辺麻友さんの成熟をも伺わせる、大人らしい雰囲気とともにどことなく翳りもただよった佳曲と言えるでしょう。

CDのリリースイベントは2015年9月に東京・府中の森芸術劇場にて開催され、私も運良く当選して胸を躍らせながら足を運んだことを思い出します。

ちなみにこの府中の森芸術劇場はホールの音響が優れていることでも名高く、日本音響家協会により「優良ホール100選」にも選定されています。どういうめぐり合わせでここが会場になったのかわかりませんが、アイドル界きっての品の良さをもつ渡辺麻友さんのイベントがここで開催されるのは(ファン心理ゆえの我田引水と自覚しつつも)本当にふさわしいことでした。

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「夕暮れと星空の間」の世界観について

さて「夕暮れと星空の間」の歌詞から伝わってくる「僕」の苦い心境はどうでしょう。

本当なら引き止めるべきところ(「君」も心の底ではそう願っていたのかもしれない)、見送ることが優しさだと思い、それが別れとなってしまった。

その過去を悔やむ思いは打ち寄せる波のように何度も繰り返し、それでいて波が海岸の地形を変えられるわけでもないように、「僕」はあのときの光景を思い出しながら海辺を訪れて過ぎ去った情景をただただ反芻します。

思うに、「僕」というのは相当なロマンチストか、ロマンチストにならざるを得ないほど大切な「君」を失ってしまったのか、はたまたその両方なのか・・・。

キーワード「インターミッション」

インターミッションという言葉が歌詞に繰り返し使われていますから、「夕暮れと星空の間」ではこれがキーワードであろうと思われます。

インターミッションとは「中断」「芝居の間の休憩=幕間」などの意味です。転じて、この曲においてはインターミッションという言葉が「時間」と「時間」の間を暗示しているように思えます。

つまり「確かに君を愛してた」という思いが「暗くなるまで」(思い出となるまで?)という2つの時間の間に横たわる空白、「見送ることが優しさだ」と思っていた"当時"と「引き止めるべきだった」と気づいてしまった"今"の断絶、「陽が沈み、暗くなるまで」の間に訪れる、「大切な何かを置き忘れ」てしまう一瞬の隙間・・・。

そして何より、曲のタイトルでもある「夕暮れ」と「星空」の間・・・。

このように2つの時間の隔たりから現れる、「ある感情」こそがまさに文学であり、音楽であり、「夕暮れと星空の間」という作品世界であろうと思います。

「文学」というと難しいことのように思えますが、なぜ人は歌を歌うのでしょうか? ここに気づけば何も難しいことはないはずです。

そして興味深いことに、「夕暮れ」と「星空」の間のような「時間」と「時間」の間は、すべて語り尽くされることはありませんし、その必要もありません。それをすればただの論説文になってしまいます。論じ尽くすのではなく「余白」を残し、読み手に想像の余地を残すのが文学ですから・・・。(それをわざわざ掘り起こして自分なりに説明しようとするあたりに、私のくどい性格が現れているようですorz)

「僕」の時間はどうなるのか

歌の語り手である「僕」はどうやら「今」の時点から「あの時」を後悔するという意味で、2つの時の間に生きていると言えるでしょう。

ではこの後「僕」はどうなってしまうのでしょうか?

「夕暮れと星空の間」は歌詞+音楽で一つの作品ですから、歌詞と音楽が相互に補い合う関係と見るのは不自然ではないでしょう。
この観点から、歌詞にははっきりと表現されてはいないものの、個々の音の響きが透明感に満ちあふれていることから察するに後悔が永遠に続くわけではなく、あのときの別れの苦さもやがて思い出の1ページとして昇華されることが示唆されているようでもあります。

もちろんこの曲の世界観を表現するうえで、渡辺麻友さん独特の声のトーンが大いに効果を上げていることは言うまでもないでしょう。劇場でこの「渡辺麻友トーン」に耳を澄ます機会が失われてしまったのは、かえすがえすも残念でなりません・・・。

おわりに

私は「夕暮れと星空の間」をよく聴いていました。
いつかブログ記事にしてみたいとも思っていました。
ようやく考えをまとめられ、文章としては荒削りながらも公表することができて嬉しく思っています。(もっと突き詰めようとするといつ公表できるかわかりませんし・・・。)

渡辺麻友さんは健康上の理由で芸能界を引退され、もう2ヶ月近い月日が流れています。
どうか、これまで経験することが叶わなかった様々な「時間」を経験してくださることを願ってやみません。

そして、渡辺麻友さんを応援した私(たち)の「時間」もいずれ何らかの形で昇華されてゆくことがあるのでしょうか・・・。
これはどうなるかはわかりませんが、まだまだある「出逢いの続き」などの多くの素晴らしい作品に改めて触れていくうちに自分なりに答えを出せるのではないかと思っています。
終わりのない禅問答のようになってしまうかもしれませんが、こればかりは私の性格ということで引き続き堂々巡りの考えを続けていきたいと思っています・・・。