中居正広さんが2020年6月6日に放送されたラジオ「中居正広 ON&ON AIR」で渡辺麻友さんについて触れ、鋭くも渡辺麻友さんへの共感にあふれるアイドル論を展開していました。
私はこれを聴き、こんなツイートをしました。
ぼっち@3_bocchi中居正広さんのラジオのアイドル論。山を登った後に自分にスキルがないと気づく怖さは当事者だからこその言葉の深さ・・・。
2020/06/07 10:25:30
中居正広さんもそのことにある時気づいたからこそ、今も芸能界の第一線を走れているのだろう。
ぼっち@3_bocchi中居正広さんが指摘したことは、おそらく渡辺麻友さんも気づいていただろう。「自分にはなにもない」という独白がその傍証になる。
2020/06/07 10:28:16
だからこそ将来の可能性を信じて、いろんな舞台を経験して欲しかったけれど・・・。
中居正広さんの「ありがとうですよね」という言葉は短くて、深い。
今日のブログ記事ではこのことについて少し深堀りしてみたいと思います。
私は渡辺麻友さんをいたく応援しており(いや、もう芸能界は引退したのだから「していた」と言うべき?)、UTAGE! で共演した中居正広さんが彼女のことを思って発してくれたであろう言葉には感謝にたえません。
ラジオ番組「中居正広 ON&ON AIR」
ラジオ番組「中居正広 ON&ON AIR」
「ラジオ番組「中居正広 ON&ON AIR」
ラジオ番組「中居正広 ON&ON AIR」
「芸能人は芸NO人」?
そもそも芸能界で活躍するということ自体が、私たちの普通の働き方とは完全にかけ離れています。
厚生年金もない、雇用保険も有給休暇もありません。
そのうえ、はっきりとした資格があるわけではありません。
「医師」「教師」「警察官」「税理士」といった専門職になるためには資格試験にクリアしなければなりませんし、「ピアニスト」や「ヴァイオリニスト」のように一流音楽大学への入学を念頭に子供の頃から練習に専念するというものでもありません。
ただ「面白いことをして人が集められる」というのがポイントで、多くの人が「面白い」と思ってくれればTVに出られます。
「面白いこと」も様々で、「お笑い」だったり「歌」だったり「演技」だったり、「司会」だったり。
なおかつ何がウケるかわかりませんし、ウケたといっても一時的なものです。
仮に自分の芸が当たったからといっても、それが実力だったのか、自分の知らないところで力が働いていたのか・・・。そこもはっきりしません。
デーブ・スペクターさんはニューズウィーク日本版のインタビューでこう指摘しています。
実力が足りないのに、テレビのバーターなどでたくさん出す。だが、そんなのを観ていたら視聴者はしらけるだろう。なんでこんなにつまんない人出してるの、と。人のこと言えないんですけど(笑)。日本にはタレントが多過ぎる、芸人と名乗る人が多過ぎる。「芸NO人」という言い方もあるくらいだ(笑)。(https://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2019/07/post-12626_2.phpより)
芸NO人というのはずいぶん辛辣ですね。
でも思い当たる節が・・・。
ちなみにですが、私は普段サラリーマンをしていまして、転職や穴埋め玉突き式の人事異動でこれまで物流→調査→営業→人事→企画というような部門を経験しています。
部署が変わるたびに業務もガラリと変わるので、スキルの積み重ねというのはほぼなく、何年働いても自慢になるような技能はなにもありません。
私も芸NO人です!!
舞台に立つ人が直面する「30歳の壁」
さて「表現者」と呼ばれる人たちのうち、特に若くして成功を収めた人は「30歳の壁」にぶつかると言われています。
このブログ記事では何度か申し上げましたように、私は一応ヴァイオリンを弾きますので、このジャンルからのお話をさせて頂きますと、かつてメニューインというヴァイオリニストがいました(1916-1999)。
彼は幼年時代からその才能を認められ、「神童」と呼ばれていました。
ところがある時期から次第に名声が衰えて行き、残念なことに活動のピークは第二次世界大戦ごろまでであったというのが現在の大まかな評価となっています。
その彼を、音楽プロデューサー中野雄氏はこのように評しています。
聴き手を感動させる音楽の必要条件は”内容”と”表現技術”である。しかし世の中にはもうひとつ、”若さ”という魅力の種があって、幼時のモーツァルトに代表されるように”年齢”もまた効果的な商売道具になる。(神童と言われた若者たちは)二十代も後半になると、まず”若さ”という魅力が剥げ落ちる。そして若さに代替すべき”精神内容”という点では、三十代そこそこ、しかも音楽一途という単純極まる人生経験が説得力充実のブレーキとなる。移り気な聴衆は離反し、批評家は音楽性の未熟と無内容を難詰する。メニューインもこの”三十歳の壁”を乗り越えられなかった。(引用:『新版 クラシックCDの名盤 演奏家篇』文春新書)
たしかに芸能界に限った話ではなく、楽壇でも文壇でも、きっとそれ以外の業界でも新人が次から次へと打ち上げ花火のようにデビューし、その後数年で鳴かず飛ばずとなっているのを目にします。
元アイドルが卒業後も成功を収め続ける事例が少ないのは、この辺りに事情があるのかもしれません。若いうちに業績を上げなくては、業界で頭角を現すのは難しい。しかし若いうちから表舞台に姿を現し続けることがかえって幅広い教養を積み、人格を磨くうえでの障害になってしまうというのは何という皮肉でしょう。
改めて中居正広さんの発言に立ち返る
以上を踏まえて改めて中居正広さんの発言に立ち返ります。
「若いってすごく大事なことというか、その時期じゃないと通用しないジャンルっていうか。山の話をすると、いろんな山頂がある中で、アイドルって、すぐに若いうちに経験も積まないで、周りの環境と押しで、ひょんと山頂に連れて行ってくれるんです」と説明。「売り方、マネージメントとかあると思うんですけど、その時に何を感じるかってすごく大切。10代から20代にかけての若いアイドルって、押してもらって、いきなり山頂に登れちゃったりするから、勘違いをしやすいジャンルの一種なんですよ」と語った。その上で「このまま、押してくれる人待ちでやっていたら、ひとりになった時にわかんないまま第2の芸能界が始まったり。『自分ひとりの力じゃないんだ』って感じるのは、非常に難しいことです」としみじみ。「それから、真価を問われるタイミングが出てくるんですよね。『あなたは歌手ですか、役者ですか、バラエティーの人ですか』っていう時に、肩書きがないって感じる時があるんです。その時、時すでに遅しで、このまま行っちゃえっていう人もいれば、何を持っていけばいいのかを一から教えてもらう人もいる」と語った。(https://www.oricon.co.jp/news/2163921/full/より)
中居正広さんもおそらくアイドルとして、「30歳の壁」に等しいものを感じ取っていたはず。
それゆえ中居正広さんはたとえばMCなど、自分の武器を磨き続け、番組の共演者とは適度な距離感を維持し続けたのでしょう。何年もこれを徹底するのは相当の意志が求められます・・・。
そうした努力を続けたからこそ、今の立場があるのでしょう。
だからなのか、渡辺麻友さんへの評として「アイドルっていう中ですごくプロを感じた」というのはお互いの経歴から敬意を感じていたことの現れではないかと思われます。
渡辺麻友さんもインタビューでこう語っています。
今はまだ実力も才能もないので、どうしたらいいんだろう・・・って。(中略)AKB48の仕事をやりながら一人で外の仕事をさせてもらうと、あらためて自分の無力さや未熟さを痛感するんです。(中略)いざ蓋を開けてみたら歌も芝居もダンスもトークも全体的に何もできてないなぁ、と思うんです。
私には、この言葉は中居正広さんの「ひょんと山頂に連れて行ってくれる」というアイドル特有の現象はあくまでもかりそめのものにすぎない、こんな状態は長くは続かないという危機意識を表したものに思えてなりません。何もしなければ芸NO人への道をたどるわけですから・・・。
中居正広さんが称賛していたのは、渡辺麻友さんが高いプロ意識をアイドル卒業後もずっとキープし続け、なおかつ舞台経験を通じて歌唱力を向上させたりといったように、「勘違いをしやすい」業界にあって「押してくれる人待ちではない」彼女の姿ではなかったでしょうか。
であればこそ、中居正広さんの「お話してみたかったな。ありがとう、ですよね。やっぱり、もうちょっとお芝居とか観たかったですね。観たかった人かな」という発言は「みじかくも美しく燃え」という言葉をも思わせる儚さを漂わせながらも、「残念」でも「頑張れ」でもなく、もしかすると番組を聴いているかもしれない当人へ向けての「ありがとう」に収斂し、たった5文字でありながらも絶妙の気遣いと距離感が感じられ、まさにMCの中居正広さんならではと言えるでしょう。
UTAGE! では渡辺麻友さんと共演していた中居正広さんですが、これからも多くの人と交わりつつ、とはいえ必要以上に深入りをしない、ちょうどいい具合のコミュニケーションを繰り広げてゆくことでしょう。
渡辺麻友さんの一ファンとして、このような言葉が贈られたことを非常に嬉しく思います。
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