2020年2月から6月にかけて、日本のオーケストラは公演が軒並み延期または中止になっています。

要するに仕事ができないわけですから、お金も入ってきません。

一見するとなんとなく高級そうでお金持ちの集まりに見えるオーケストラですが、懐事情はじつは極めて厳しいのです。

なにしろ2時間(休憩などをのぞくと80分ほど)のサービスを70~80人がかりで、せいぜい2,000人程度の人に提供するわけですから、9対9のゲームを東京ドームで披露するプロ野球と比べると経済規模はまるで違います。

また、ベートーヴェンが生きていた時代だろうと21世紀だろうと『運命』も『田園』も同じ編成で同じ時間をかけて演奏しているわけですから、科学技術の進歩による生産性向上の恩恵はほとんど受けてないことになります。

京都産業大学経営学部准教授・大木裕子先生の『オーケストラの経営学』によると、日本のオーケストラの運営資金の出どころは、事業収入が55%。行政からの助成が34%。民間助成が7%。その他が4%。
自力で生み出したお金が半分ちょっとで、あとは他力によるものです。

さらには、コンサートのチケット価格を上げすぎるとお客さんが来てくれないという問題もあります。
そういうわけでオーケストラの定期演奏会では、毎回200~500万円の赤字が出てしまうと大木先生は指摘しています。

というわけで、オーケストラは基本的に自転車操業。生楽器でアンプを使わないため大音響で音を響かせられず、そもそもそういう音づくりをベートーヴェンやモーツァルトは想定していないため、ロックバンドのように東京ドームなり日本武道館なりに何万人ものお客さんを集めることは無理です。

経済的には成り立たない団体を、なんとかしてスポンサーを見つけてしのいでいるというのが現実でした。

そこに新型コロナウイルスという難題がたちはだかりました・・・。

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オーケストラ経営を難しくさせる公益財団法人の会計制度

日本フィルハーモニー交響楽団の平井理事長は日経新聞のインタビューでこう語ります。
経営危機にひんしているオーケストラが存続していくうえで、制度上の問題も浮上している。「多くの楽団が公益財団法人という形態をとっているが、年間の収入と支出をトントンにしなければならないという『収支相償の原則』がある。利益をあげても積み立てておくことが難しいため、今回のような危機への備えができない」と指摘。さらに「2年連続で純資産が300万円を下回ると、法人資格を失い、解散を迫られる。非常に厳しい制度だ」と訴える。

(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO59570400W0A520C2BC8000/より)
学校法人などもそうなのですが、公益を目的として設置された法人というのは、基本的にお金を溜め込むことができません。収入はすべて公益のために支出し、決算はプラスマイナスゼロが理想の状態とされています。

たしかに学校が学生から授業料を徴収して、そのお金が設備の充実や優秀なスタッフの採用に使われるわけでもなく、ただただ銀行口座に眠っているだけだったら「何のために授業料払ってんだ!」ということになりますよね。

オーケストラも公益財団法人として活動している場合は「高いチケット代を払ってんだから、溜め込むお金があるんなら学校で無料コンサートを開いたりして、市民に還元しろ」という発想のもと、『収支相償の原則』が適用されています。
(一般社団法人の場合はまた違った会計基準が適用されます。オーケストラは公益財団法人だったり、一般社団法人だったり、団体によって異なります。)

こういうわけで、たとえば公益財団法人である日本フィルハーモニー交響楽団は上記のような理由で存続の危機に瀕しているわけです・・・。

文化の灯を次世代に伝えたい

オーケストラは数十人がかりで行う音楽ですが、そのへんの楽器奏者たちをかき集めれば即オーケストラになるかというと、ちょっと違います。

オーケストラは名門であればあるほど、その音色に特徴を持っています。
剛毅という言葉がふさわしい音を誇るベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、優美な音色とその伝統をもってオーケストラの代表ともいえるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。
日本でも深みのある音を出すNHK交響楽団、情熱的な音色の読売日本交響楽団、クールな雰囲気の東京都交響楽団(ここは私の主観です)。

こういう音色というのは、楽団設立の由来から始まり、音楽監督として招いた歴代の指揮者の音楽性、そこに共感して集ってきた人材といった長い因果関係の積み重ねの結果として生まれてきたものですから、いわば音が歴史であるといえるでしょう。

だからこそ一度解散してしまうと、復元は絶望的です。
日本のオーケストラの多くは戦後に設立され、音楽市場の拡大とともにその需要に応えながら、それぞれの音色を確立してきました。
ここ20年ほどで技術水準もかなり上がり、マーラーのような複雑な作品であっても精緻な音を表現するようになってきています。

それが今、2020年というわずか1年間でこれまでの積み重ねが一気に崩れ去ろうとしています。
しかし文化や芸術というのは、人間のイマジネーションを何らかの形で表現し、他人へ伝えようとしたコミュニケーションであり、つまり人類の歴史の証でもあります。

この1年でそのような貴重な先人から手渡された財産を手放してもよいのでしょうか?

直接地元のオーケストラに寄付する、自主制作のCDを買ってみる、公演が再会されたら実際に演奏会に行ってみる・・・、いろんな方法があり、どれでもオーケストラを助けることができます。

私たちが何もしなかったから、今の日本はこんなに不毛な国なんだ・・・、後世の人にそう言われることのないよう、自分たちにできることをやりたいですね。
私も今から某オーケストラの自主制作CDをポチってきます・・・。