2020年5月下旬~6月にかけて、休校が続いていた学校も徐々に再開しています。

友だちがいないぼっちな人の中には、「友だちいないので、授業や行事が苦痛だった」「学校が休みだから、ぼっちでも助かった」と感じている人もいるのではないでしょうか。

新聞やTVでは「学校再開、生徒たちに笑顔が戻る」のようなハートフルな物語として取り上げられがちです。そもそもニュース記事というのはそうやって一定の「形」に無理やりはめ込んで作られているもの。「殺人事件」なら「地元住民に恐怖が、強い憤りが」。「お盆の帰省」なら「実家に戻って孫が喜ぶ」。こういう定型文を当てはめれば、ニュースのできあがりという寸法です。

逆に言うと、「友だちいないぼっちは、学校再開を憎んでいる」のようなことは絶対にニュースになりません。

でも現実には友だちがいなくて、「学校再開にがっかりした」という気持ちの人もいるはずです!

bocchi



『響け!ユーフォニアム』にもぼっち問題がちらっと登場

京アニがアニメ化した『響け!ユーフォニアム』の原作にもぼっち問題がちらっと登場しています。
北宇治高校吹奏楽部がサンフェスというイベントにバスで向かう一コマです。
バスの席は自由だけれども、席が確定するまでにいくらかの駆け引きが発生する。普段奇数で行動しているグループは当然ながら一人余るため、彼らは皆それとなく自分の相手を確保しようと二人グループを作っていく。残された生徒は気にしていないふりを装いながらも、孤独の烙印を押されないよう、ほかの相手を求めて右往左往する。仲がいいと思っていたはずの友達がほかの子と座っていたり、順風満帆に座れるはずだった偶数グループが補助席のせいで分裂騒動を起こしたりと、なんでもないように見える日常の風景のなかにはドロドロとしたドラマが潜んでいる。
こういうときに、友だちいないぼっちはいつも一人になります。
二人がけの席で、隣がぽかっと空きます。
他の席は普通に二人分埋まっているのに、自分だけ隣が空いています。
これで自分はぼっちだとみんな気づきます。

一度ぼっちだとわかると、さらにますます誰もあなたに声をかけなくなり・・・、という悪循環になります。

とりあえず2020年度は修学旅行とか体育祭とか合唱コンクールとか、いろんな行事が中止になりますからグループで行動することも少ないはず。これは嬉しいですね。

ちなみに私が大学生だったときは、授業ではいつも左右両隣は人がおらず、ぼっちでした。
学食でもぼっちで他の席は埋まっているのに自分の周りだけポカっと空間ができていました。
学生が何万人という大きな大学でしたが、4年間友だちはできませんでした。

学校再開でぼっちはどうすればいいのか

ぼっちな人にとっては、学校再開は苦痛で仕方ないでしょう。
その気持とは裏腹に「学校再開で生徒が笑顔」のような、ぼっちな人が完全に「いないこと」にされてしまっているニュースが出回っています。そんなのを見たら「自分に味方はいない」という気持ちになりますよね・・・。

対策は、以前こういう記事を書いたことがあるので詳しくはそちらをお読みください。

クラスに友だちがいない。ひとりぼっちとその対策。(中学・高校編)


短く言うと、たとえば「勉強で一番になる」「あつ森にやたらと詳しい」とか、独特のキャラを開発してしまうことが手っ取り早いですね。
キャラが他の人とかぶってしまうと、ネタの奪い合いになってお互い疲弊するだけです。
逆に誰もいないキャラを開拓してしまえば、そこにはあなたしかいないのでそのジャンルの王者になれます。これはいいですね。

あるいはぼっちを突き詰めてみるというのも手ですね。
宮沢賢治はこういう詩を残しています。
みんなが町で暮らしたり一日あそんでいるときに
おまえはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまえは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏のそれらを噛んで歌うのだ
もしも楽器がなかったら
いいかおまえはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいい
これは「告別」という作品の一部ですが、孤独こそが創作のエネルギーになると言っており、ここまで力強くぼっちにイエスと言っている言葉も珍しいです。

世の中には友だちと一緒にいるよりも孤独を愛し、孤独の中から「何か」を見つけてくる人がいます。そういう人は「表現者」「芸術家」とも呼ばれます。
私もそういう人になりたかったですが、どうやら自分にはその能力はなかったようです。社会人になって自分の器は大したことがないとはっきりと自覚しました。

この記事を読んでいる方もたぶんぼっちな人だと思います。
そのあなたに、ぼっち道を突き詰める未来を託したいと思います。そう思いながらこの記事を書いています。どうか一人でもくじけることなく、自分の道を切り拓いてください。