このブログは「友だちいない研究所」。

友だちのいない私がぼっち体験を書くために作ったのがもともとの目的でした。

友だちがいないのはどうして? と考えたときに、自分の「他の人がやっていることを自分はやりたくない」「集団行動に深い嫌悪感を覚える」という性格に原因があると思います。

だからワールドカップを見たいと思ったことは一度もなく、日本代表を応援しようと思ったこともなく。

東京オリンピックに合わせてわざとフランスとかイタリアへ一人で旅に出ようとも思っていました(延期になりましたが)。

2020年には新型コロナウイルスの影響で、みんながマスクをするようになり・・・。
私は「みんながやっている」というその一点において強烈な拒否感をもち、マスクをほぼしていません。
これからも「マスクをしていない人はこの施設に入ることができません」的な状況でない限り、おそらくすることはないでしょう・・・。

(以下は、「他の人がやっていることを自分はやりたくない」「集団行動に深い嫌悪感を覚える」という性格の人物が書いた文章であることにご注意ください。)

loneliness


マスクをやめたいと思っている人もいるはず

私は思います。マスクをやめたいと思っている人もいるはずだと。

なぜなら・・・。

1.そもそもみんながマスクをしている理由というのは、体調が悪いからでもなく、医学的な観点から本当に感染拡大を防止したいと思っているからでもなく、「みんながやっているから」のほうが大きいのではないか。

2.サラリーマンのネクタイがサラリーマン仲間だというシンボルであるように、マスクそのものが「私もやってますよ」とアピールするための道具にすぎないのではないか。

3.ニホンザルの毛づくろいは、衛生上の理由があるという以上に「お互いに仲間だと確認すること」が目的だという。ママ友のLINEの応答もなにかの必要に迫られてやっているわけではなく、「連絡のための連絡」をしあって仲間だと内心確かめる行為だと聞く。サラリーマン同士の雑談も理由は同じである。であればマスクをすることもその一種で「お互いに仲間だと確認すること」であろう。

4.しかし、そもそも新型コロナウイルスというのはどれくらいの脅威だろうか。
日本では毎年130万人あまりが死亡している。(生まれているのはおよそ90万人であり、1年あたりおよそ40万人の人口減少である。)

死因別にいくつか調べてみると、たとえばガンは38万人、自殺で2万人。交通事故で4,500人。肺炎は9万4千人。貧血で2,000人。不慮の窒息(ビニール袋を子供がかぶった、餅が老人の喉に詰まったなど)で8,800人。新型ではない通常のインフルエンザでは3,300人。(出典:https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai18/dl/gaikyou30.pdf
こう見ていくと、日本の新型コロナウイルスの死者およそ800人というのは特筆すべき死亡原因とは考えにくい。通常のインフルエンザで死亡者が今日は何人、と数えるわけではないが、ただ新型というだけでいちいち死亡者をTVや新聞がカウントするのはリスクの過大評価であると考えられる。また、その報道に染まってただ「怖い怖い」と恐怖し、自分なりに調べ、リスク評価を行わないのは、主体的な判断を放棄しているも同然である。

「このままでは死亡者が・・・万人」のような予測もあったが、太平洋戦争での沖縄戦の死者が20万人、東京大空襲の死者が10万人、広島への原爆投下での死者が20万人(いずれも概数)といった中学校で習うはずの事実が頭に入っていれば、常識に照らして「ノストラダムスの大予言」レベルの眉唾なものだと判断すべきである。

5.「お前のような考えの者がいるから、新型コロナウイルスの感染が拡大するのだ」「みんなが自粛、マスクをしたからこれだけ死亡者が少なかったのだ」という考えもあろう。

しかし私に言わせれば逆である。新型コロナウイルスというリスクを他のリスクと比較すらせず過大に評価し、いたずらに恐怖する人が多数いたからこそ日本国憲法が基本的人権として保証している教育を受ける権利、集会の自由、移動の自由が制限されるという結果を招いた。
いやなにより国民の多くが「侵すことのできない永久の権利」と憲法に定められた人権をやすやすと制限されることに抵抗感を示さなかった(日本国憲法が施行されて初の事態のはず)。

日本国憲法には「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたもの」とあり、人権が国家から無料でプレゼントされたものではないことは明らか。
自らが新型コロナウイルスにかかりたくない一心ゆえに過去の人類の積み重ねを汚し、将来の為政者が再び人権を制限するハードルを下げてしまったものだ。
このように次世代へ禍根を残すことを一顧だにしない姿勢に対して私は深い嫌悪感を覚える。

(なお、自粛やマスクが感染拡大の防止にどれだけ貢献したのかについては、たとえば日本ではできなかったようなロックダウンを行った欧米で死者が逆に多いこと、東アジア地域では欧米と比べて死者が少ないことに鑑み、私は懐疑的な姿勢です。日本人の生活パターン・衛生観念が欧米のそれと違うからという説は、それで日本と欧米の数十倍もの開きがある死亡者数を説明するには不十分と考えます。BCGや遺伝子などを要因に挙げる人もいますが、それを解き明かすことこそ専門家の仕事です。また上記リスクの過大評価云々は、あくまでも死者が奇跡的に少ない日本国内に限ります。)

6.以上の考え方を踏まえると、マスクをするというのは「ただ周りに流されているだけ」ではないか。
みんなが竹槍訓練をしているから、町内会で村八分になりたくないから、自分も竹槍訓練に参加するのと大差ないのではないか。


以上になります。
この考え方に賛同するのはおそらく100人中、1人くらいではないかと思います。
逆に言うと、それくらいの割合でマスクをやめたいと思っている人もいるはず・・・。
(この記事はそういう人に向けて書きました。)

そもそも私自身がこういうことを思いつき、文章にして公表している時点で「友だちいない」というのはむしろ当然のこと。
これからも私は「友だちいない」を背負って生きていくのでしょう・・・。