学校の文化祭で仕事がない人というのはどこのクラスでも一定数発生するお話です。

お化け屋敷をやろうという話になったのに、みんなが盛り上がっていて自分だけやることがない。

模擬店をやるのにみんなが夢中、でもなぜか自分だけぼっちになって仕事がない。

そんなことってけっこう「あるある」なのです。

それってあなたがクラスでいつもぼっちだからでしょうか?

いえ、問題の根っこは別の所にあると思います。

bunkasai

文化祭で仕事がないのは、そもそもマネジメントの問題では?

人事コンサルタントの城繁幸さんが日本のサラリーマンの働き方を評してこんなことを書いていました。
百科事典をこれから編集するプロジェクトがあったとします。世界標準の職務給方式に従えば、メンバーはあらかじめこんな風に担当を割り振られることになります。 「Aさんは“あ行”、Bさんは“か行”を担当してください。Cさんは“さ行”ですがちょっと業務量が多いのでその分賃金は割増しますね」 といってマネージャーがそれぞれの担当するワードの書かれたカードを配って作業開始。

担当範囲が明確に割り振られているので、出社時間は自由だし在宅勤務もOKです。 一方、日本が世界に誇る終身雇用方式だとどうなるか。管理職がすべてのカードを大部屋の真ん中にどばっと広げてこう言うわけです。

「さあさあみんな仕事仕事!しっかりやってね!」
(中略)

よく日本の有給取得率が低いのはまじめな国民性のせいだ、みたいなことをおっしゃる人がいますが、そんなことないですね。担当範囲を明確に割り振らぬままみんなで一緒に働くスタイルなら、どの国の出身者だって足の引っ張り合いを始めるはずです。これも構造的な問題なんですね。

(中略)

まとめると、日本の働き方をめぐる諸問題の根っこには、業務を明確に割り振らず無制限に引き受けさせるという構造上の問題があるわけです。

メリットですか?一つだけ思いつくのは、会社が指図しなくても従業員が「あいつは休んでけしからん」みたいな自警団を勝手に結成して風紀(?)を引き締めてくれることですかね。 有給与えても使おうとしない、命じなくても居残って残業するカルチャーは、経営側からすればメリットに思えたかもしれませんね。もっとも、そんな重箱の隅をつついていれば利益の上がった時代なんて高度成長期からせいぜい80年代後半までだと思いますけど。
現在では職場環境を悪化させてむしろ生産性を下げる効果くらいしかないように見えます。

ちなみに筆者はそうした働き方のことを“文化祭方式”と呼んでいます。特に担当を割り振るでもなく、みんな教室で一緒に作業する。手を抜いていると思われると仲間内で悪評がたつので「ぶっちゃけいらないような仕事」もどんどん手を出し頑張ってるふりをする。 そうやって最後は「もう遅いから、今日はおしまい!」と先生に言われてようやくお開き……というアレですね。

(http://agora-web.jp/archives/2044524.htmlより)
要するに、「誰が何の仕事を担当していて、それをどのような手段で、いつまでに完了させるのか」を文化祭準備の初めの段階で決めておかないと、みんながてんでバラバラに「一生懸命なフリ」で作業を始めてしまい、お互いの作業がかぶって非効率になったり、「何をすればいいのかわからない」という人が出てきてしまうのです。

文化祭の準備でぼっちになった、やることがない。そんな場合は、悪いのはたいてい計画を立てて指示を出すリーダーがへっぽこなだけなのです・・・。

文化祭の準備で仕事がないときは、どうすればいいのか。

結局のところ、リーダーに「いま私には仕事がない。これこれの仕事なら手伝うことができる」。そう伝えるしかないでしょう。安易に「なんでもやります」と言ってしまうと、「だったらクソ重い機材を運んでくれ」という指示が出てくる可能性がありますから、自分にできることを伝えてみるのが一番ですね。

ちなみに自分は文化祭というとあまりいい思い出がありません。
準備するだけでなく、文化祭当日もぼっちだったのです・・・。\(^o^)/オワタ