若きモーツァルトが書いたディヴェルティメントK.136。

弦楽合奏団もよく取り上げる名曲となっています。

この作品を書くまえにモーツァルトはイタリアへ旅行し、アルプス以南のまばゆい風物に影響を受けたらしく、若き日のモーツァルトのはつらつとした心境が伝わってくるようでもあります。

イタリアで受け取った影響が彼を動かしていたことは確実で、この時期は機会音楽の面でも、ゆたかな実験的時期と言えるものであった。その時期に作曲されたのが、K. 136からK. 138までの3曲であり、驚くべきは、16歳と言う若さにしてこれらを作曲したことである。シンプルに見えてかなりの精緻に富んだこれらの曲は、モーツァルトが音楽史に燦然と輝く天才であることを裏付ける1つの証左となる。

(ウィキペディアより)
まさに屈託のない明るい音楽ですが、モーツァルトをきれいに演奏するのは実は至難の業だったりします。
チャイコフスキーなどは民謡っぽくある程度演奏者が癖をつけてもなんとなくそれが味わいのように聴こえてしまうので、ある意味ラクができます。

ところがモーツァルトの場合は楽譜通りに弾かないと歪んで聴こえます。
いえ楽譜通りに弾くというのは必要最低限のことで、そこにモーツァルトらしい優雅さやときに見せる翳りを表現するにはほんとうに細心の注意が必要・・・。

私もモーツァルトの『ヴァイオリン協奏曲』を弾きながら見かけとは裏腹の難しさに「こんちくしょう、こんちくしょう」と思っています・・・。

k136


モーツァルトのディヴェルティメントK.136のおすすめ演奏とは


私なりにいろいろ聴いてみて、意外と(失礼!)名演奏だと思うものが廉価盤にありました。
ルドルフ・バウムガルトナー指揮、ルツェルン弦楽合奏団の演奏。
アマゾンなら2020年5月現在、中古品が¥1から販売されています。



ところがこれが品のある演奏です。
はやりのピリオド奏法には背を向けていて、誰もが知っている「普通のモーツァルト」を表現。
この「普通」がモーツァルトではものすごく達成困難だということは、いろいろな演奏会に足を運べば運ぶほどおわかりいただけるかと思います。

このCDではその困難さを困難だと感じさせないほど、当たり前のように音楽が横にスラスラと流れていきます。もちろん縦のアンサンブルもばっちり。
もしモーツァルトを初めて聴くけど、どれがいいの? と問われたらこのCDを黙って差し出しても絶対問題ないはずです。

小澤征爾さんの「ディヴェルティメントK.136」

以下にご紹介する小澤征爾さんの演奏も忘れてはなりません。
ご存知のように小澤征爾さんの師匠は桐朋学園大学の斎藤秀雄さん。
晩年は癌にかかり、闘病生活を続けながらも教育への情熱は一層高まっていました。

最後の夏となった1974年、教え子たちの集う志賀高原合宿にやってきた彼は指揮棒をとり、モーツァルトのK.136を指揮しました。

ところが師匠の手が自由に動かなくなっていることを知り、彼の命がまもなく燃え尽きようとしていることを悟った生徒たちは、涙で楽器を濡らしながら演奏したと伝えられています。
このときのディヴェルティメントはテンポも遅く、常々斎藤がいっていたモーツァルトとは別のものだった。しかし、その場に居合わせた斎藤秀雄の生徒たちは、このディヴェルティメントこそ、斎藤と楽員の心と心が一体となった類稀なモーツァルトだったと、必ず回想するのだ。

(中略)

完璧に曲の演奏を終えた斎藤は、生徒たちに部屋まで送られた。誰も一言の言葉も出ないような状態だったが、すぐに部屋にひきあげる気持にもなれずにいた。
湯治客のひとりが、演奏の感激を伝えようと言葉をかけてきた。
「今晩は本当にすばらしかった。ありがとうございます。ところで、ディヴェルティメントというのは、お別れの歌という意味ですか」
ディヴェルティメントは、嬉遊曲と訳されている。十八世紀後半に流行した軽快そのものの器楽曲のはずなのだが。この言葉で、それまで押さえに押さえていた感情が吹き出して、生徒の中からは慟哭と嗚咽の声が漏れた。
(引用:中丸美繪『嬉遊曲、鳴りやまず』より)

斎藤秀雄さんの弟子が小澤征爾さんであり、彼から指揮法を叩き込まれた小澤さんはフランスへ留学。ブザンソンのコンクールで一位になり、一躍スターへの道を駆け上がります。

小澤征爾さんの師匠への尊敬の念は至るところで語られており、日本の音楽界の水準向上にあたり並々ならぬ貢献をしたことがうかがわれます。

その小澤征爾さんもディヴェルティメントK.136の録音を残しています。



硬質ながらも純粋な音楽が溢れ出るサイトウ・キネン・オーケストラ。
余計な味付けや個性は抜きに、純粋にモーツァルトだけを楽しむことができます。
素材のよさで勝負する高級な豆腐やうどんと言えば当たらずと言えども遠からずといったところ。

名前からも分かるように斎藤秀雄さんに縁のあった生徒たちが主要なメンバーであるこのオーケストラは常設ではないものの、世界の有名オーケストラに引けを取らない実力があります。
この録音に聴くモーツァルトは、日本人がたどり着いた「ヨーロッパの音楽」の一つの極みを示しているでしょう。


おわりに

聴けば聴くほど「他にもっとすごい録音があるんじゃないか!?」と思えてしまうのがクラシックであり、モーツァルトの楽しみです。
すっかり配信の時代になってしまいましたが、私はおそらくこれからも様々なCD探しをしてしまうでしょう・・・。