渡辺麻友さんは3月26日に誕生日を迎えます。
1994年生まれですから、今年は26歳。

私は昨年のNHKの朝ドラ『なつぞら』でヒロインの同僚という役に抜擢され、彼女の今後の女優としてのキャリアに大きな期待を寄せていました。

ところが人の行く手というのは予想もつかないもので、10月のUTAGE! のあと彼女をTVで見かけることはなくなってしまいました。
まさかあのときの「紅」が今現在までの最後の姿だとは一切予想していませんでした・・・。

lily


渡辺麻友さんの成長をゆっくりと待ちたい

半年もの間、表立った活動をしていない渡辺麻友さんについて、一部では心ない表現をする報道も出てきました。
活躍していたらしていたで揚げ足を取るような記事を書き、そうでない場合は憶測にすぎない「飛ばし記事」で噂を広げる・・・。
マスコミのよくない側面が現れているようで残念でなりません。

とはいえストイックで知られる渡辺麻友さんも私たちと同じように生身の人間であり、調子の良いときもあれば思うようにいかないときもあるのが当然。
私が渡辺麻友さんを応援したいと思ったのも、常に上を目指そうとする姿勢に共感したからに他なりません。

世の中には何をやっても完璧な人がいます。
一流大学を卒業し、複数の学位を持ち、何ヶ国語もペラペラで政治家になってしまう人とか、アスリートとして実績を残し、引退後は経営者としても成功してしまう人とか・・・。

それはそれで素晴らしいことです。

が、そこまで完璧だというのなら私が応援する必要もないでしょう。

一人の人間が、どこまで成長できるかを真摯に模索するさまに自分を重ね合わせ、努力する姿に励ましをうけ、自分もそうありたいと思う・・・。私が渡辺麻友さんを応援したいと考えたのはこうした理由からです。

人の成長は必ずしも単線的なものではなく、いろいろな事柄を経験して少しずつ開花するものですから、表立った活動をしていない今であっても彼女にとってきっと必要な時間なのだろうと、そしていつかまた舞台に、カメラの前に戻ってくる日を心待ちにしています。


人間は放電ばかりだと将来は閉ざされる

話は飛びますが、成功が逆に失敗のもととなってしまったお話をさせていただきたいと思います。

冷戦時代、アメリカとソ連は軍事や経済の面だけではなく文化の面でも火花を散らしていました。

「社会主義は資本主義の国よりもはるかに文化的である」、そのことを証明するためにソ連は音楽やスポーツを組織的に保護し、将来ある若者を徹底的に(時には本人の意志に反して)鍛えていたとされます。

音楽の面では1958年、ソ連が威信を賭けてチャイコフスキー・コンクールを開始。1年前にスプートニク1号の打ち上げに成功し、ここで一気呵成に科学だけでなく芸術でもアメリカを圧倒する狙いがありました。

宇宙開発で後塵を拝したアメリカは、音楽の分野でも国際コンクールで若者が活躍した例に乏しく、さらに差を広げられまいとしたものの勝算には欠けていました。

・・・ところが事前の予想を裏切り、その第1回チャイコフスキー・コンクールのピアノ部門で1位に輝いたのはアメリカのピアニスト、ヴァン・クライバーンという若者でした。帰国した彼はニューヨークでパレードを行い60万人の観衆に迎えられ、ホワイトハウスで祝賀晩餐会が開かれました。

このように一夜でスターとなったクライバーンですが、その後はどこに行ってもコンクールで演奏したチャイコフスキーの『ピアノ協奏曲』ばかりを求められるようになり、やがては表現者として自分を見つめ直す時間が与えられず、43歳で引退してしまいます。
素晴らしい才能に恵まれながらも結局は芸術家として成熟する機会を失ってしまったのは、人生のある時点から放電ばかりの日々を送ることになってしまったからだと言われています。

彼の栄光が輝かしいものになっていけばいくほど、クライバーンの演奏そのものは不調に陥っていった。アメリカという社会は、スターに決して休息の間を与えない。一日休めばその間にライバルが現れてチャンスを奪いとることを、みな知っているからである。それゆえスターは、まるでくるくる廻るコマのように、休むことなく人々の前に登場し続けることになる。

(中略)

いつ何処に行っても大衆は、クライバーンにチャイコフスキーのピアノ協奏曲を要求した。彼には新しいレパートリーを勉強する時間もなかったし、また、そんなものに関心をもってくれる人は、ごく少数であった。批評家達は彼を「どれもこれも速く弾きすぎる」とこきおろし、同業者のピアニストたちは「ヴァンはこの頃どれもこれもゆっくり弾きすぎる」とあざ笑うようになった。彼は青ざめ、不安に満ちた眼差しで、おどおどと人を見つめるようになった。
以上はピアニスト・中村紘子さんの『チャイコフスキー・コンクール』からの引用です。
皮肉なことに成功がかえって将来の成長のための時間を奪い去り、将来を台無しにしてしまうという典型例です。
同じことが芸能界、とくに若いアイドルが毎年打ち上げ花火のように売り出されていますが、果たしてそれが長期的には本人のためになっているのか・・・。私はときおり疑問を感じることがあります。

他方で、同じチャイコフスキー・コンクールのヴァイオリン部門で1990年に1位に輝いた諏訪内晶子さんは、コンクール後に「時の人」となり様々なステージを経験しますが、「このままでは自分を見失ってしまう」と一度表舞台から姿を消し、アメリカへの留学を決意します。
数年間の研鑽の時期に彼女は様々な人から多くのことを吸収し、のちに世界的に活躍するソリストとして輝かしいキャリアを築くことになったのでした。

諏訪内晶子さんは自著のなかでこう当時を振り返ります。
チャイコフスキー・コンクールで優勝したからといって、私という人間が突然変わるわけではない。その私が、コンクールに優勝したが故に、次から次へと新しい曲をこなさなければならなくなった。昔、江藤先生(注:諏訪内さんの師匠にあたるヴァイオリニスト)のレッスンを受けて、弾けるようになっている曲もその中には幾つかあったが、それはあくまで「学生」として勉強したというだけであって、「プロ」として聴き手の前に披露する行為との間には、大きな質的な落差があった。このことに気づいた私は、日本での演奏活動を断ち切って学業に専念することを密かに決めていた。
そのまま演奏活動を続けていたのでは、短期的には成功を収めることができたとしても、いずれ自分のエネルギーを使い果たしてしまうということを感じ取っていたがゆえの決断だったと考えられます。

渡辺麻友さんの元同僚であるAKB出身者もソロで活動を行いつつ、ときに事実上の活動休止期間を挟む人もいます。浮き沈みの激しい芸能界にあって長く活躍していくためには、ほんの一時の名声を犠牲にしてでも自分を深めていかなくてはならないことの傍証ではないかとすら思われます。


渡辺麻友さんも多くのことを学び、大輪の花を咲かせてほしい

以上、人間には「放電」だけではなく「充電」も大切だということを二人の音楽家の軌跡を通じて述べさせていただきました。
渡辺麻友さんも多忙を極めたアイドル時代から、過酷で知られる朝ドラの撮影まで、おそらく気が休まる日は極めて少なかったはず・・・。

たしかに目立った活動が報じられてはいませんが、それは次に来るであろう活躍の時を迎えるための準備期間なのではないでしょうか。
ましてや表現者としての幅を広げるための学びは若いうちのほうが有利です。

今なお「谷間のゆり」のような感もある彼女がいずれ舞台なりTVドラマなりで、誰もがその魅力に足を止めざるをえない「大輪の花」となる日が来ることを心から願いつつ、私は彼女の姿を再び見る日を静かに待ち続けたいと思います。