男性には、女性にしてみれば「?」としか思えないような謎のこだわりがあるようなのです。

私にエレキギターを教えてくれた先生(もちろん男性です)は、コーヒーミルでコーヒー豆を挽いて飲んでいました。

「それってカッコいいじゃないか!」
と思った自分もついアマゾンでコーヒーミルを購入。
そしてコーヒーは豆から挽くようになりました。

・・・という話を、ある日一緒にバンドを組んでいた(といっても今から5年ほど前です)女性にしたところ、


「出た! 男のこだわりwww!!」

と一蹴されてしまいました・・・。

どうやら男には、女性には理解されない謎のこだわりが人それぞれあるようです・・・。


kodawari

ぼっちの謎のこだわり

私=ぼっちにもこだわりがあります。
前述のコーヒー豆もそうですが、クラシック音楽を20年以上聴いていることもあり、同じ曲を異なった演奏家で聴き比べることがよくあります。
例えばベートーヴェンの『交響曲第9番』ならフルトヴェングラーやバーンスタイン、小澤征爾、ブリュッヘン、ミュンシュ、ヴァントといったいろいろな指揮者・オーケストラで手を変え品を変え、同じ曲なのに10枚くらいCDを持っています。

ときには指揮者Aでも1970年代のレコーディングと1990年代のレコーディングで解釈が違うからと同じ曲の同じ指揮者で年代だけ違うCDを揃えたり・・・。

知らない人から見れば謎のマニア行為にしか見えないと思います。

一応参考までにスメタナの『我が祖国』から有名な「モルダウ」の聴き比べについて触れておきます。

まずはこちらの演奏を最初の30秒だけ再生してみてください。




そのあとでこちらも冒頭30秒だけ再生してください。


前者はフルトヴェングラー、後者はカラヤンという指揮者の演奏です。

「モルダウ」冒頭は、チェコの首都プラハの中心部を貫くモルダウ(ブルダヴァ)川の水源を描写しています。
曲の始まりではフルートの静かなメロディが山奥の細いせせらぎを表し、弦のピチカート(ポンという音)は水滴がしたたる音を表しています。

この出だし30秒を聴き比べていただくだけでも、二人の指揮者はどういう川を想像していたのか、またそれをどうオーケストラに表現させたのかという違いがなんとなく分かりますね。

・・・音楽に関心のない人にしてみれば「それがどうした」でしかありませんが、一度こだわりを持ってしまうと「他のCDはどうなってるんだ?」と気になり、何枚も同曲異演のCDを買い求めることになるのです・・・。

首都圏で有名な中古CD店といえばディスクユニオンですが、そのクラシック売り場にいるお客さんは90%が男性(本当です)。
CDの聴き比べというのは女性には理解しがたい謎のこだわりなのかもしれません。

とはいえコーヒーミルはおすすめです

そうは言っても、この記事のはじめにお話したコーヒーミルは男性にとっても女性にとってもおすすめです。

一袋200g、500円の普通のUCCとかのコーヒー豆を挽くと、気品のある香りが部屋いっぱいに広がりそれだけで朝のひと時を優雅にしてくれます。

はっきり言って、喫茶店のコーヒーよりも美味しいです。
スタバに行く必要がなくなります。
私は豆を自分で挽くようになってからは本当に全くと言っていいほど行ってません。

男の自分がそう書くと「また謎のこだわりか」と思われるかもしれませんが、これは本当なのです・・・。