永井荷風といえば戦前から戦後まもなくを代表する日本の文豪です。
『あめりか物語』『ふらんす物語』『墨東綺譚』などを始めとする傑作の数々は日本の文学史を彩っています。

その永井荷風は2020年1月16日のNHK番組「偉人たちの健康診断「永井荷風 楽しき寂しきシングルライフ」にて取り上げられていました。

結婚はしない。偏屈で人間不信。そんな文豪・永井荷風は、自由気ままで優雅な一人暮らしを続けながら作品を生み出し、79歳で当時としては珍しい孤独死を遂げる。華麗な文体で、色町を舞台に男女の情愛を細やかに描き、大作家へ登り詰めた荷風。文化勲章まで受章した偉大な作家は、なぜひとり暮らしにこだわり続けたのか?生涯書き続けた日記文学の傑作「断腸亭日乗」などの作品から、荷風の人生と病を読み解く。
(NHK公式サイトより)

彼は1959(昭和34)年に当時としては珍しい孤独死を遂げてしまいました。
その彼が重んじていたものは「孤独」でした。

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永井荷風が大切にしていた「孤独」

自由気ままな生活をできた理由は、親の財産を相続したからでした。
30歳で慶應義塾大学文学部の教授に就任しますが、まもなく親が死去すると莫大な財産を受け継ぎ、その後教授職も辞めてしまいます。

その後現在の六本木に建築した偏奇館(へんきかん。ペンキ塗りの建物だったことから)にクラスようになり、40代になると作家としても知れ渡るようになります。

要するに悠々自適の生活だったようです。

彼が日課としたのは散歩でした。銀座や浅草、墨田区向島のあたりをウロウロする日々が続きます。
当然ながら多くの人との出会いもありますが、彼は人混みの中で何をしていたのかというと・・・。

「孤独」を感じることでした。

「孤独」が創作の源になるということを彼はその頃までにどうやら会得していたようなのです。

代表作『墨東綺譚』にも孤独の影が?

彼の代表作『墨東綺譚』は、短く言ってしまえば主人公・大江が私娼街の玉の井で偶然出会った女性・お雪のもとに通うようになり、とうとうお雪は「借金を返し終わったら、おかみさんにしてほしい」と切り出します。
大江は彼女を幸せにするのは自分ではないと悟り、お雪から遠ざかります。
お雪はその後入院し、ほどなく亡くなってしまいます。大江はそれから玉の井へ足を向けることはありませんでした・・・。

初夏から秋へ、美しい季節の移ろいとともに、重なり合いそうで結局は重なることのなかった二人の心は、どことなく川端康成の『雪国』すら連想させるものがあります。

私なりに考えると『墨東綺譚』は、主人公大江はやはり孤独を知る人=永井荷風その人がかなり投影されていると思われます。
もし温かい家族に囲まれる人生だったなら、こういう筋書きにしたかどうか・・・、そもそもこんな物語を思いついたかどうか・・・、ちょっと考えにくいです。

ブログをすると友だちが減る?

このブログは「友だちいない研究所」と言います。
もともとは友だちがいないぼっちな自分の日常などを書きつづるために始めたものです。

ブログを始めると記事作成に時間がかかり、結局職場などの飲み会から足が遠のいてしまい、やがて友達が減るというのはよく耳にします。

私はもともと友だちがいませんが、孤独の徹底度、孤独を創作に活かしている度合いという点ではまだまだ永井荷風に及びません。(一生及ばないと思うが・・・。)

NHKの番組を見て永井荷風の一生のことをざっと学ぶことができましたが、改めて本棚から『墨東綺譚』を取り出してみたくなりました。