このたび、このブログ「友だちいない研究所」の記事を読んでくださった読者の方からメッセージを頂戴しました。

コメント欄ではなく管理人宛のメッセージ機能で送信されたものでしたので公開されているわけではありませんが、先日の私の記事


について、このTAKUROさんの発言がわたし=ぼっち的な考え方に反するのではないか、とはいえそれが嬉しかったというお声でした。

メッセージをお寄せ下さいました読者様へは大変感謝しております。

多少補足させていただきます。

solitude


TAKUROさんの名言への補足

「一番遅い人に合わせようと決めていた」というのは、バンドがチームである以上、メンバーとどう接するかという方向性はいずれ決めなくてはなりません。
レベルが違う人・方向性が違う人を切り捨てて他のメンバーを迎えるというのは「短期的に見れば」たしかにバンドにとってメリットでしょう。

そういうバンドもきっとあったはずですが、他方でTAKUROさんは函館時代からの仲間を尊重してGLAYの4人で人生をともに歩むという姿勢をたびたび表明されています。
私は集団行動ができない人間なので、TAKUROさんの姿に自分にはないものを見つけ、これを非常に尊敬しているという立場です。

この点でTAKUROさんの性格とは(たぶん)かなり違っているようで、「やりたいことがあれば一人でさっさとやろう」「パリを旅したい。よし一人で行こう」「正直、ルーブルでラファエロを一人で見ようが二人で見ようが結局ラファエロはラファエロだしな」「だったら24時間を自分の自由に使える一人のほうがいいよな」というスタンスなのです・・・。

蛇足ですが私はヴァイオリンを弾いているものの、集団行動ができないという性格なのでオーケストラに所属しようという気がまったくおきません。
では何が弾きたいかというと「無伴奏」というジャンルです。
たとえばバッハの『無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ』などです。


無伴奏というのはいわば一人芝居。
残念ながらアマチュアが演奏するのは極めて厳しいハードルのようですが・・・。

話を戻しますとこのブログでは「同僚と一緒に昼食を食べたくない!」のようなことも書き連ねており、ブログを続ければ続けるほどますます良くも悪くも自分らしさが発揮されてきてしまいました。
(単に中二病をこじらせているだけなのかもしれません。)

私は集団行動できません\(^o^)/オワタ

このような性格なので、今の職場では集団作業が多くミスマッチを感じており、一日一日がものすごく苦痛に感じる瞬間が多いです。逆に一人でいられる時間に非常に価値を感じています。
ピアニストの内田光子さんは「理想の休日とは、誰にも会わないこと」とおっしゃっているようで、これにおおいに共感します。

では社会に向けてメッセージを発信する必要がないのではないか、ブログもやらなくていいじゃないかという話になってしまいますが、このブログは「ぼっちだっていいじゃないか」ということを広めるための「布教活動」のようなものと言えるでしょう。
だれかが私のメッセージに耳を傾けてくれれば、これに勝る喜びはありません。(大げさに言えばどこかの星に住む人が探査機ボイジャー号に載せたレコードを見つけてくれたら良いな的なものですね。)

さて布教活動といえば・・・、クリスチャン作家であった遠藤周作さんの本を最近何冊か読みました。
遠藤さんはイエスが神格化され、キリスト教が世界的な宗教となっていった理由の一端について、著作『キリストの誕生』でこう述べています。
人間がもし現代人のように、孤独を弄(もてあそ)ばず、孤独を楽しむ演技をしなければ、正直、率直におのれの内面と向きあうならば、その心は必ず、ある存在を求めているのだ。愛に絶望した人間は愛を裏切らぬ存在を求め、自分の悲しみを理解してくれることに望みを失った者は、真の理解者を心の何処(どこ)かで探しているのだ。それは感傷でも甘えでもなく、他者にたいする人間の条件なのである。

だから人間が続くかぎり、永遠の同伴者が求められる。人間の歴史が続くかぎり、人間は必ず、そのような存在を探し続ける。その切ない願いにイエスは生前もその死後も応えてきたのだ。キリスト教者はその歴史のなかで多くの罪を犯したし、キリスト教会も時には過ちに陥ったが、イエスがそれらキリスト教者、キリスト教会を超えて人間に求められ続けたのはそのためなのだ。
ここではキリスト教の特質と教会のあゆみを遠藤周作さんなりに端的に説明しています。
私はクリスチャンではありませんし、なにもキリスト教に特に肩入れするつもりはありません。
とはいえ人は内心で「同伴者」を常に探し求めているという点には完全に同意します。
このような心理があるからこそ、現代人はSNSに熱中したり、ぼっちでありながらブログでこういうことを書き連ねて誰かに読まれることをひそかに期待している人物がいるわけですから・・・。

おわりに

とりとめもないことを書き連ねてしまい、読みづらくなってしまったかもしれませんが、私なりの考えについてざっくりと述べさせていただきました。

本ブログをお読みくださり、また貴重なお声をお寄せ下さいましたこと、改めてお礼申し上げます。