私は年末になると必ず渡辺麻友さんの卒業コンサートの映像を見ることにしています。
2017年10月31日に行われたこのコンサートにはじつは私も足を運んでいました。

当夜は彼女のアイドルとしての最後の大がかりなコンサートとなるとともに、これまでの集大成という位置づけでもありました。

私はコンサート開始直後のオープニング映像からして尋常ではないこだわりに気づき、これから始まるものに期待して胸を高鳴らせていましたが、その予感は的中し最初から最後までの見事な運びに深い感動を覚えつつ帰り道についたのをいまも忘れていません。

DVD・BDが発売されてからは年末にじっくりと鑑賞するようにしていますが、改めて映像を確認し、そのたびに深い感銘を受ける第一曲目の「初日」について自分なりの考えを文章として整理することにしました。


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音楽の本質に迫る「初日」

卒業コンサートの「初日」のことは渡辺麻友さんについての過去記事で何度か簡単に触れたことがあります。
簡単にまとめると、緊張や押し寄せてくる感動のために音程などの技術面ではかなりの難点があるものの、この数分の歌には「音楽の本質とは何か」という問いに肉薄するものがあるのでは、というのが私の考えです。

たしかにこのときの「初日」は渡辺麻友さんは言葉に詰まり、歌詞が途切れ、音程も終始揺れ動いています。単なる技術面だけを考えるなら危なっかしい状態です。
それでもこの音楽には思わず耳をそばだてずにはいられない「何か」があります。
(じっさいに市販の映像の付属ディスク「メイキング編」には舞台袖からメンバーが真剣な眼差しで聴き入っている様子が収められています。ひょっとすると何%かはカメラを意識しての表情なのかもしれませんが、それにしても舞台を見守る顔つきが作りものだとは思いにくいです。)

音楽の感動は「メッセージ」の有無であり、技術ではないのでは

涙で歌詞が消えてしまったときの渡辺麻友さんの悔しそうな表情もカメラは捉えており、彼女にとっては悔いの残るものだったことは想像に難くありません。

それでも「だけどアンコールがどこかで聞こえた」からサビの部分では言葉のひとつひとつに自分の感情のすべてを注ぎ込んでいることは明らかで、歌詞の内容を自らのこととして曲想を抉る気迫はどうでしょう。私は渡辺麻友さんが歌うのをこのコンサートの前後にも複数回聴いていますが、このときほどのただならぬ声色が出てきたのは後にも先にもありません。
(もしかしたらこれを上回る歌唱があったのかもしれませんが、私自身は『アメリ』でもFCイベントでもここまでの覚悟に満ちた声は聴いていません。)

このコンサートの渡辺麻友さんは11年アイドルを続けてきた「すべて」をステージにぶつけているわけですから、彼女が伝えたかった「メッセージ」はその一挙手一投足に表されており、ミスすらも「なぜこのとき言葉に詰まったのか」ということを想像すればこのステージに賭ける彼女の責任感の重さの現れであるとすら思えてなりません。

その一方で、技術的な巧みさにかけては渡辺麻友さんよりはるかに勝り、真実さという点ではこのときの彼女に全く及ばない音楽を私は20年ほど前に上京して初めて「コンサートホール」という場所に足を運んで以来たくさん聴いてきました。

こうしたことから考えると、音楽の感動はそこに表現者の「メッセージ」が込められているか否かの一点にかかるものであり、「メッセージ」のなかに表現者の人間性をも感じ取るものであり、音が綺麗だったり技術が素晴らしいということはあくまでも表面上の問題にすぎないのではないかと考えられます。

世の中には歌を忘れたカナリアとでも言うのか、技術だけ達者で内容が空疎、「なんという絢爛とした虚しさだろう」と感じてしまう音楽も多くあります。その意味で、音程の揺れなどの表面上の不備を乗り越えて、人と人の間に共感の架け橋を渡した(まさにそれが音楽が存在する唯一絶対の目的といえる)のがこのときの「初日」だったというのが私の考えです。

この「初日」を歌うまでに彼女には11年の積み重ねが必要でしたし、この瞬間に至るまでに様々な葛藤を経験してきたはずです。その思いがこみ上げてきたときの彼女の表情はどうでしょう。誇りや責任感、一期一会の機会に託した思い・・・、様々な感情を歌声に乗せているわけですが、映像を見ていると人間の活動に占める精神というものの割合は、目に見えなくても実は大きいことに改めて気付かされます。

しかしながら、この表現手段はアイドル人生の総決算であったという意味で、渡辺麻友さんは二度と使うことができないものでもあります。
プロの歌手であれば言葉に詰まるというのは犯してはならないものですから、技術と表現意欲双方のバランスのとれた充実に向けて、今後の彼女のますますの成長を見守りたいと思います。

さてこれからの渡辺麻友さんは、どういう歌声を私たちに届けてくれるのでしょうか。
ミュージカルであれ演技であれ「表現」というものは先進たちが道を開いたものであり、いつかは渡辺麻友さんも自分が切り開いたものを後進へ委ねることになるもの。けっして完成することのない仕事です。
アイドルという立場で脚光を浴びた過去のとある日から、何十年後かに訪れるであろう最後の舞台を後にするその時までのたゆみない研鑽の日々に、私は自分の年輪をも重ね合わせてゆくことができればと考えています。

おわりに

お気づきかもしれませんが、私は(一応、私もアマチュアながら人前で楽器演奏を披露することがあるので・・・)「表現とはなにか」ということについて考えを深めてゆくにあたり渡辺麻友さんを起点としています。

世の中には「たかが(元)アイドル」といった扱いをする向きもあるかもしれませんが、彼女が見せるストイックな姿というのは自己研鑽に励む人にとっては大いに学ぶべき点があると思います。

渡辺麻友さんは昨年秋からTVで見かけなくなり、おそらく次の仕事に向けての準備に入ったものと思われます。今年もまた渡辺麻友さんが新しい境地を切り開いていくのを心待ちにしている次第です。