人の不幸は蜜の味という言葉があります。

読んで字の如く、なぜか人は誰かが不幸に陥ると思わずうれしくなってしまうという不思議な心理があります。
人は原始時代から社会(集団)を形成することで何万年という歴史のなかを絶滅せずに生き延びてきました。

ということは人の不幸を喜ぶのではなく、むしろ嘆いたほうが集団としての結束が保たれてプラスになるはず・・・、なのにどうして「ざまぁ」と感じてしまうのか??

ドイツ語で「シャーデンフロイデ」という言葉があります。
これはまさに友達など誰かの失敗や不幸に対して「ざまぁ」と思ってしまう感情のことをいいます。
シャーデンフロイデ。直訳すると「影の喜び」。すごい語感ですね・・・。

freude

友達に「ざまぁ」と思う心理

なぜ大切な友達に「ざまぁ」と思ってしまうのでしょうか。
これはそもそも人の本性(あなたの本性ではなく)に問題があるようです。
・他者の変化が、自分のいまの状態を脅かす可能性
・他者との生存競争に破れたくないという心理
などではないでしょうか。

人の頭の中で誰かの失敗を糾弾したり喜んだりする気持ちの原因には脳内物質「オキシトシン」というものが関わっているそうです。オキシトシンは親子の愛情などを育むために必要不可欠なホルモン。
ところが、同時に「妬み」の感情も生み出してしまうようなのです。
つまり他者(友達)が成功を通じて変わっていくこと=今の自分を脅かすので妬んでしまう、ということです。

また、人は結局競争を好むものです。
なぜサッカーのような闘争的なスポーツが世界的な人気なのか、その理由はここにありそうです。
争いに勝利することで自分のDNAを次世代へ伝えることができるわけですから、他者が失敗すればそれだけ自分が勝利する可能性が高まります。
これも友達の失敗に「ざまぁ」と感じてしまう理由として挙げられそうです。

同業者は、後輩の成長を喜ばないものである

こうした心理は友人関係だけではなく、芸能人とか芸術家とかいった立場の人にもあるようです。

かつて神童と呼ばれたモーツァルト。
彼は父レオポルトに連れられて故郷ザルツブルクからウィーン、パリ、ロンドン、ローマなど様々な都市をめぐり、たくさんの宮廷に出入りしていました。

後年モーツァルトはどこかの宮廷の作曲家として雇われようとするも、ことごとく就職活動が失敗に終わります。
その理由は、年時代の彼の才能を見た同じ時代の作曲家たちが警戒したからだというのが一説にあります。
たしかに同業者から見ればモーツァルトが雇われる、喝采を浴びるというのは自分がクビになるのと表裏一体ですから警戒されて当然ですよね。

ちなみにもう一つの理由が、父があまりに息子を売り込もうとしていたので、かえってハプスブルク家の女帝マリア・テレジアに嫌われ、血脈を通じたネットワークでつながっている欧州中の宮廷にその悪評が伝わってしまったからだとも言われています。

服屋さんで「いらっしゃいませ」「なにかお探しですか」と営業されると逆に鬱陶しく感じるものですが、さすがのマリア・テレジア女帝もやはり営業されるのは心地いいものではなかったようです。

おわりに

このように、人の心には誰もが暗い面を宿しているようです。
とはいえそういうのをあからさまに表に出さないのが「大人」の振る舞い。
間違っても人前で「ざまぁ」なんていう態度は出さないようにしましょう・・・。


注:今回の記事作成にあたり、そのものずばり「シャーデンフロイデ」という本を参考にしました。
シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書)