2020(令和2)年1月に実施されるのが最後のセンター試験。

翌年からは大学入学共通テストが実施されることになっています。
その目玉は英語の試験において英検やTEAPなど民間の検定試験を活用すること。

と思いきや、地方の受験生が不利になることから頓挫! \(^o^)/オワタ

もう一つの目玉、「記述式問題」。
これも採点の正確さや公平性、自己採点と実際の点数の乖離が激しいことなどから頓挫!!/(^o^)\ナンテコッタイ

NHKはこう報道しています。
大学入学共通テストでの記述式問題について萩生田文部科学大臣は「受験生の不安を払拭(ふっしょく)し、安心して受験できる体制を早急に整えることは現時点では困難だ」と述べ、当初予定していた再来年1月からの導入を見送ることを発表しました。

(中略)

そして、萩生田大臣は「誰か特定の人の責任でこうした事態が生じたわけではない。現時点では私が責任者なので、私の責任でしっかり立て直しをしたい」と述べました。
(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191217/k10012217631000.htmlより)

個人的には、これまで受験生から高校教員、大学教員など全国の関係者を振り回しておいてふざけるな! 腹切れやコラ!! と思いましたが、「誰か特定の人の責任でこうした事態が生じたわけではない」というセンテンスに日本的なものを強く感じました。

nigero


「誰か特定の人の責任でこうした事態が生じたわけではない」。これって「無責任の体系」?

私はこのようなツイートをしました。


「無責任の体系」というのは政治学者・丸山真男の造語です。第二次世界大戦後、丸山真男は東京裁判の記録を点検し、日本軍の指導者が法廷で責任を逃れようとするさまを「無責任の体系」という言葉で批判しました。

例えば、三国同盟の締結にあたって内大臣だった木戸幸一が「個人的にはこの同盟には反対だった」と述べたり、外相だった松岡洋右は「歴史は急激に動く世界にあっては必ずしも制御することができない」と述べたり・・・。

結局軍や政権の中枢を担う人材が積極的にリーダーシップを発揮して意思決定したという姿は見当たらず、逆に現場の状況を追認する形で物事が決まるというパターンが目立ち、あとから作戦失敗の責任を究明しようとしても中心人物が誰で、いつ・どう判断したのかわからないこと、誰もが「あの時点では・・・だったからこれの他になかった」「現実の状況がこうだったから、これこれの方策を受け入れた」という話ばかりで明確な責任者が特定しづらいこと・・・。これを「無責任の体系」と呼びました。

今回の記述式問題導入見送りにあたっての「誰か特定の人の責任でこうした事態が生じたわけではない」というのは、まさに歴代の大臣だったり、有識者会議の出席者だったり、現場で実務を担う中堅官僚の調整結果だったり・・・、と関係者がスパゲティ状にからみあい、やはり東京裁判での被告の発言資料のように、誰がどう判断してこうなったのか因果関係が見極めづらいことを示唆しているようではありませんか。

日本では意思決定者がいない?

丸山真男の「無責任の体系」に通じるものを感じていた人は、日本人だけではありませんでした。

1966年から1968年にフランス文化使節の一員として数度来日した哲学者、ロラン・バルトは日本に滞在した経験をもとに書いた『表徴の帝国』という本で、ヨーロッパ的な目線から見た日本文化の独自性を解き明かしています。

彼は「ヨーロッパの都市は中心に教会=”意味のある場所”に人々が集う」ということを指摘したうえで、「東京の中心には皇居という一般人が近づけない謎めいた空間が広がっており、市民はこの中心をぐるぐると回るほかないのである」として対比的に述べています。
なんだかこれは責任者がいつまでも特定できない(中心にたどり着けない)「無責任の体系」を連想させますね。

アメリカの外交官、キッシンジャーもかつて何かの本でこう述べていました(ここは記憶を頼りに書いているので出典不明です。申し訳ありません)。

「私は日本を変えたいと思って総理大臣、大蔵大臣、外務大臣に会った。だが変わらなかった。ならばと思いマスコミのリーダーや財界人にも会った。それでも変わらなかった。そしてあるとき気づいた。日本の政治は、誰も決める人がいない。だからああいう決まり方になるんだ」

ここでの「決める人」というのは、「リーダーシップを発揮して決断する人」のことを指していると思われます。そういう人材が日本にはいないと言いたかったのでしょうか。

もしかすると今回の新しいテストも同じパターンだったのでは・・・?

おわりに

私は普段大学入試関連の仕事をしていますので、今回の件は「何だこの茶番」という気しかしません。
〇〇省とか政府とか、要するに公的機関と付き合うとろくな目に遭わないということが身にしみてよく分かりました。

せめてプライベートではこういう機関とはぜったいに接点を持つまいと、強く決意した次第です・・・。