渡辺麻友さんの名言、「きっと一番くやしいのは、夢がかなわないことじゃなくて、夢にトライするのをあきらめること」。

この言葉は家庭教師のトライのHPに掲載されていたもののようです。
家庭教師のトライは(2011年)6月20日、AKB48をイメージキャラクターとした「夏のキャンペーン」をスタートした。

ホームページには、トップのバナーにメンバーの直筆と思われるメッセージが交代で登場。「きっと一番くやしいのは、夢がかなわないことじゃなくて、夢にトライするのをあきらめること」(渡辺麻友)など、メンバーそれぞれが「トライすること」に対する思いを綴っている。
(https://response.jp/article/2011/06/20/158249.htmlより)

ストイックで知られる渡辺麻友さん。2011年というともう8年も昔のことになりますが、このころからいまの彼女に連なる性格の片鱗がうかがわれます。

私はこれに関連して先日、下記のようなツイートをしました。


ありがたいことに、この投稿は何人かの方がリツイートしてくださいました。
この場を借りてお礼申し上げます。
今日の記事では、このツイートについてもう少し掘り下げて考えてみたいと思います。

hands


成功とはなんだろう? 岡本太郎さんはこう語る

岡本太郎さんの言葉は『自分の中に毒を持て』からの引用になります。
やや長いですが、原文は次の通りです。
夢に賭けても成功しないかもしれない。そして、そのとき、ああ、あのとき両親のいうことを聞いておけばよかったと悔やむこともあるかもしれない。
でも、失敗したっていいじゃないか。不成功を恐れてはいけない。人間の大部分の人々が成功しないのが普通なんだ。パーセンテージの問題でいえば、その九九%以上が成功していないだろう。

しかし挑戦した上での不成功者と、挑戦を避けたままの不成功者とではまったく天地のへだたりがある。挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままでオリてしまったやつには新しい人生などはない。ただただ成り行きにまかせてむなしい生涯を送るにちがいないだろう。

それに、人間にとって成功とはいったい何だろう。結局のところ自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか。

夢がたとえ成就しなかったとしても、精いっぱい挑戦した、それで爽やかだ。
(注:文中の強調は私によるものです。)


現実には、「私は将来こうなりたい」という明確かつ具体的な意欲をもち、かつその目標に向かってまっしぐらに行動できる人はほんの一握りしかいません。
そのほんの一握りのなかで、社会的に成功を収めるひとはますます限られます。

渡辺麻友さんはアイドルから女優という道を選択しました。
多くの人にとっては、そもそもアイドルのオーディションを受けるということ自体が突飛なことでしょう。
常識的には普通の学生から普通の社会人になる道のほうが「得」であり、将来の保証が一切ない芸能生活を選ぶほうが「損」と言えます。

それでもあえてそういう道を選び取ること、これが精いっぱい生きたという実感を得るのための前提条件であり、成功へつながることもある唯一の道のようです。

成功の要諦は「やってみなはれ」に集約される?

私は過去にいくつかの「成功法則」というものを調べてみたことがありますが、結局のところ成功の肝心かなめの部分は「やってみろ」に尽きるようです。

サントリーの創業者鳥井信治郎さんが残した名言が「やってみなはれ」。
ナイキのスローガンも"Just do it."
AKB48の曲にもイソップ物語からの引用である「ここがロドスだ、ここで跳べ」(今の環境のもとで言い訳しないでベストを尽くせ)という作品があります。

そして古代ローマの詩人、ウェルギリウスは「幸運の女神は勇者に味方する」という言葉を残しています。
「ここがロドスだ、ここで跳べ」の歌詞を借りるなら、「月も星もない山道を 闇に怯えながら歩いた絶望」という暗い経験を経た者にのみ、成功は訪れる(可能性がある)ということでしょうか。だとすればこの成功のための法則は大昔から何一つ変わっていないようです。
(余談ですが、ブログを書いている人は自分のサイトへのアクセスがまったく上がらなくて、「100回絶望した」「1,000回絶望した」「3,000回絶望した」などなぜか絶望した人だらけです・・・。)

「負けるのも人生の味だ」

渡辺麻友さんも出演していたNHKの朝ドラ『なつぞら』。
このドラマの中盤では、帯広の菓子店、「雪月」の跡取り息子である小畑雪次郎が菓子職人の夢を捨てて劇団員を志すという場面があります。

その道はあまりも無謀すぎる・・・。父と祖母は帯広から上京し、息子を思いとどまらせようと説得しますが、劇場に熱心に通いつつも、菓子職人としても決して手を抜かず実直に努力を積み重ねていた息子の姿を感じ取った父は、息子のロールケーキを口にするや「何になるにしても、これくらい努力しろ!」と暗に劇団員となることを認めます。

祖母・小畑とよも孫の新しい門出を祝いますが、「負けるのも人生の味だ」と意味深い言葉を贈ります。

事実、雪次郎はのちに劇団員の道を断念し、帯広に戻ってからは店を継ぐべく父の元で菓子職人として修行を再開することになります。

しかし私なりに思うに、劇団員としての挑戦が彼にとって無駄だったとはけっして思えません。
東京での様々な経験を経て、彼の心のひだは細やかさを増し、いわゆる「敗者」=「挑戦したものの、成果に結びつかなかった人」=「夢に向かうという意欲を持った若者たちのその後の姿」への共感を獲得したはずであり、ささやかながらも静かな生活の価値も理解したはずですから・・・。

雪次郎と似たような境遇の人物が描かれている、自分のことを実質的にかなり盛り込んでいるであろう又吉直樹さんの小説『火花』という作品にも触れておきたいと思います。
この小説の主人公「僕」は漫才師になりたいという夢がありました。ところが、その夢を断念せざるを得ないということにある日気づきます。

「僕」は漫才師になりたくて、努力を重ねた。

何度もネタを工夫して、舞台に立った。

自分の話で笑いを取る喜び、誰も反応しない辛さ、両方を味わった。

努力に努力を重ねて、ついに分かった。

「この道では食べていけない」と。

そうした実感に辿りついた「僕」はこう独白します。

僕は小さな頃から漫才師になりたかった。僕が中学時代に相方と出会わなかったとしたら、僕は漫才師になれただろうか。
漫才だけで食べていける環境を作れなかったことを、誰かのせいにするつもりはない。ましてや、時代のせいにするつもりなど更々ない。

世間からすれば、僕達は二流芸人にすらなれなかったかもしれない。

だが、もしも「俺の方が面白い」とのたまう人がいるのなら、一度で良いから舞台に上がってみてほしいと思った。「やってみろ」なんて偉そうな気持ちなど微塵もない。世界の景色が一変することを体感してほしいのだ。自分が考えたことで誰も笑わない恐怖を、自分で考えたことで誰かが笑う喜びを経験してほしいのだ。

必要がないことを長い時間をかけてやり続けることは怖いだろう? 一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう。

無駄なことを排除するということは、危険を回避するということだ。臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識をくつがえすことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。それがわかっただけでもよかった。

この長い年月をかけた無謀な挑戦によって、僕は自分の人生を得たのだと思う。
このように、たとえ成功しなくても努力の先に「自分の人生を得た」という実感を得ることができたと語っています。この記事冒頭に岡本太郎さんの言葉を引用しましたが、「夢がたとえ成就しなかったとしても、精いっぱい挑戦した、それで爽やかだ」に近い心境ではないでしょうか。

まさに、「負けるのも人生の味」です。

「きっと一番くやしいのは、夢がかなわないことじゃなくて、夢にトライするのをあきらめること」

話を渡辺麻友さんの言葉に戻します。
「夢にトライするのをあきらめ」た場合、あるいはそもそも「夢」を抱くことができなかった場合、「生きている」という実感を持ちづらいのではないか・・・。

仮に「夢」があったとしても、そこに向かう道のりは過酷です。渡辺麻友さんも多忙を極めたときは深夜・早朝に帰宅し、ほとんど眠らずに翌朝の仕事に臨んでいたと聞きます。

このような強いストレスのもとでもなぜ彼女は折れなかったのか・・・。
ここでは「誇り」「自信」を支えていた「何か」があったのではないか・・・。
その「何か」は「お金」や「ブランド品」のような手に触ることのできる「物」ではなかったはず・・・。
私なりに、このように考えています。

その「何か」は彼女の「夢」であったのかもしれませんし、「私は誰かから必要とされている」という確かな実感であったのかもしれません。

「何か」を「夢」や「志」と呼ぶにせよ、別のものであったにせよ、それが精神的なことであったであろうと考えており、たとえ目に見えなくても人の生活に「こころ」が占める割合というのは、私たちが普段実感している以上にはるかに大きいのではないでしょうか・・。

おわりに

以上、渡辺麻友さんの名言からとりとめもない考察となってしまいました。
私自身もこの考察はまだ途中経過にすぎないものだという自覚はありますが、「書く」という行為を通じていま現在考えていることを少しずつ明確にしておきたいと思った次第です。

荒削りな内容で恥ずかしい限りですが、この記事をお読みくださった方へ「何かを志すとは」「努力するとは」について何かしらの観点を提供できれば幸いです。