ベートーヴェンの交響曲は不思議なもので、奇数番の曲は男性的で勇ましく、偶数番の曲はたおやかな雰囲気をたたえたものであるという傾向があります。

たとえば交響曲第3番『英雄』、第5番『運命』、第7番、そして彼の代表作でありとあらゆる音楽のなかでも比類のない完成度を誇る第9番『合唱つき』。これらは深刻だったり、力強い曲想です。

しかし『田園』というサブタイトルの交響曲第6番や、ベートーヴェンの愉しげな佇まいを思わせる第8番など、偶数番にはどことなく穏やかなものが多いですね。

『運命』と同時並行で書かれた『田園』は、世界中の様々なオーケストラ、指揮者が録音を発表しています。
CD店に行けばたくさんの『田園』が並び・・・、


いったいどれを選んだらいいんだ??


と人を悩ませる一曲でもあります。

私はクラシックを聴いて20年以上経ちました。
バーンスタインだったり、ミュンシュだったり、ワルターだったり、ヴァントだったり、いろんな「名盤」を聴き比べてきました。

その中で、「これを押さえておけば間違いないだろう」というCDが2枚だけあります。

それは・・・。

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カール・ベーム指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による『田園』




1894年、オーストリアに生まれ、1981年に死去した名指揮者、カール・ベーム。
彼は戦前から活躍していましたが、とくに戦後は第2次世界大戦の惨禍で焼失し、のち再建された国立歌劇場の再開記念公園でベートーヴェンのオペラ『フィデリオ』を指揮したり、その国立歌劇場の総監督に就任したりと、ウィーン国立歌劇場管弦楽団、そしてその楽団員から構成されるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団からの信頼が非常に厚い指揮者でした。

ベートーヴェンやブラームス、シューベルトなどドイツ系音楽に定評のあった彼は1971年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と『田園』を録音しています。

この『田園』の演奏のなにがどう素晴らしいのか。

それは、ウィーン・フィルの美音が曲のすみずみまで行き渡り、しかも単に美しいにとどまらず、都会を離れて田園にやってきたベートーヴェンの当時の心理(耳が聞こえなくなりつつあり、人嫌いを装うようになっていた)すら伺わせるような踏み込みすら思わせます。

第1楽章から第2楽章にかけて少しずつ田舎に溶け込んでいくベートーヴェン、第3楽章で農民との交流に心を開き始めるベートーヴェン、第4楽章の「嵐」は単なる暴風雨ではなく、「難聴を抱えて作曲家として生きていけるのだろうか」という葛藤にすら思えます。
第5楽章は「牧人の歌」ということになっていますが、心の嵐を乗り越えて「生きる」ことに真摯に向き合おうとする感謝の歌でもあります。

上記の説明はあくまでも私個人の主観ではありますが、ベームの指揮はこうした「人の心」すら伺わせるような温かみのあるものとなっています。

録音は1971年ということでもう50年近く前ですが、今なお色あせることのないスタンダードな名盤と言っても過言ではないでしょう。

フルトヴェングラー指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による『田園』



こちらは1952年の録音でモノラルになります。
音質が悪いのはモノラルゆえ仕方のないことですが、その欠点を補って余りある独特の深い音色が魅力です。

冒頭の1分だけで構いませんので、ベームの動画と聴き比べてみてください。
どことなく晴れ晴れとしない田園が広がります。
私の手元のCDのライナーノーツ(外国版)をかいつまんで訳しますと、
・フルトヴェングラーにとって『田園』は宗教的な領域へ没入することと密接な関わりがあるものだった。

・「我らは主の栄光を崇め奉る」という言葉を『田園』の楽譜のフィナーレに書き込んでいた

・彼は『田園』を2部構成であるかのようにとらえており、テンポ設定にその痕跡が見られる

・牧人の喜びの歌に「かつてこうであった姿の回想」と「かつての姿から移り変わったいま」を示したかったらしい

ということが記されており、フルトヴェングラーは単なる田園風景を描くにとどまらず、宗教的な観点から人間の様々な姿を音で表現しようとしていることが推測されます。

つまりはフルトヴェングラーにとって音楽は音符の連なりではなく、何らかの思想や哲学の仮託であったようなのです。

ここまで深い世界を垣間見せる演奏はまさに唯一無二と言ってよく、たとえモノラル録音といえども、また年に1回くらいしか再生しないとしても貴重な記録としてぜひ持っていたい一枚といえるでしょう。

おわりに

私が言及しているベーム、フルトヴェングラーともに複数の録音があります(有名指揮者の場合、一つの曲を生涯に複数回録音することがあります)ので、ご注意ください。
この記事では動画のリンクも貼っていますが、やはり演奏の真の魅力はPCやスマホの小型スピーカーではなく、普通のCD・レコード再生機で音を出した時に感じ取れるものだと思います。

また、以上の録音についての感想はあくまでも私の主観です。これ以外にも素晴らしい演奏は世の中にたくさんあるはずで、「マイベスト」を探究していくのがクラシック音楽の楽しみでもあります。
ぜひ自分なりの最高の『田園』にめぐりあって頂ければと思います。