いやはや、世の中にはすごい人がいますね。


ベルギーで「神童」と呼ばれた9歳の男の子が、12月にオランダの大学で電子工学の学士課程を修了する。

ローラン・シモンズ君(9)はオランダのアイントホーフェン工科大学(TUE)の電子工学部に在籍する学生。普通の学生にも難しい学位を、シモンズ君は12月に取得する見通しだ。

父親によると、学士課程の修了後は電子工学の博士課程に進学予定で、同時に医学士の修得も目指している。
(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191115-35145455-cnn-intより)

9歳で大学の学士課程教育を修了するなんて、いったいどれだけの神童なんでしょう?

学士課程教育というのは「学部」を卒業することと同じですので、日本なら22歳になって得られる学位をそれよりも13年早く得ていることになります。

学士を取得したあとで博士課程に進学予定とのことです。ここでの「博士課程」とは博士課程の前期つまり修士課程を指していると思われます。
もしかすると10代前半で博士が誕生するかもしれません!

ベルギーでは小学校から落第があります。毎年,学年末試験で成績がよくないと留年してしまいます。逆に成績が良い場合には飛び級もあります。
(https://www.mofa.go.jp/mofaj/kids/kuni/belgium_2014.htmlより)

これは外務省のHPからの引用ですが、優秀な人物にはさっさと先に進んでもらおうという姿勢が伺われます。
たしかに9歳で大学生並の知能があるなら、「あなたはまだこういう年齢だから」と分数とか三角形の面積の求め方とかをやらせるのって若さの無駄使いとしか言えませんから・・・。

ヴァイオリンを普段弾いている私は、どうしてもモーツァルトの少年時代を思い出してしまいます・・・。

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モーツァルトの少年時代

彼の神童エピソードには事欠きません。

・少年時代からクラヴィーア(ピアノの前身)、ヴァイオリンの演奏に長けていた

・ハプスブルク帝国のマリア・テレジア女帝に伺候、宮中で演奏を披露

・8歳で最初の交響曲を作った

・11歳で初めてオペラを作曲した

・14歳のときにバチカンのシスティーナ礼拝堂で100年以上門外不出とされていた秘曲「ミゼレーレ」を一度聴いただけで宿に戻り、譜面に書き起こすことができた

元々優秀な音楽的完成をもって生まれ、音楽家の家庭で育ち(父レオポルトはヴァイオリン教師であった)、音楽を刷り込まれ、音楽好きになる。「好き」という感情がさらに音楽の能力を刺激し、ますます才能が伸びる。
この好循環が彼の神童エピソードの裏にあったと言われています。


音楽もスポーツも、「生まれつき」が相当左右するらしい

音楽プロデューサーの中野雄(なかの たけし)さんは著作『モーツァルト天才の秘密』という本の中で東北公益文科大学副学長・大島美恵子教授から「遺伝子が人生で何パーセントの重みをもつか」という問いに対してこの様な答えを引き出しています。

少なくとも五〇パーセント。六〇パーセントに近いかもしれません。モーツァルト級の楽才の遺伝子は、もちろん極めて稀だとは思いますが、人類史上、数百人に宿っていたと考えるのが常識的です。ただ、その人達がモーツァルトになれなかったのは、生まれた時代、受けた教育も含めて、育った環境によるのではないでしょうか

中野さんはこの言葉を受けて、
大切なのは、自分に具わっている遺伝子の”質”を、早期に認識すること。自分がいかなる脂質を持ってこの世に出て来たのかを自覚し、資質の練磨に心を砕けば、この世の栄光を手にできる確率は非常に高い。逆にその認識を怠ったり、誤ったりすると、悲劇が起こる。親がわが子に対してつける点数が甘く、そこから悲劇が生まれた例を、私はたくさん見てきた。
と述懐しています。

私は最近、男子400mハードル記録保持者である為末大さんの『諦める力』という本を読みましたが、やはり似たようなことが書かれており、音楽もスポーツも「生まれついてのもの」に相当左右されることを知りました。
僕は(カール・)ルイスの走る姿を生で見たことがある。
そのときの率直な感想は、「自分の延長線上にルイスがいる気がまったくしない」というものだった。僕がいくらがんばっても、ルイスにはなれない。僕の延長線上とルイスの存在する世界は、まったく異なるところにあると感じた。
スポーツはまず才能を持って生まれないとステージにすら乗れない。
多くの指導者は、スタープレーヤーが取り組む驚異的な練習を見て、教え子たちに「見ろ。あのぐらい練習しているからあそこまでの選手になったんだ」と諭す。しかし、スタープレーヤーは、努力を努力と思わず、努力そのものが楽しいという星の下に生まれてきていることがほとんどだ。
このようなことを悟り、勝ち目のない分野で実りの乏しい努力を積み重ねると、人生そのものが台無しになってしまう、だからより現実味のある分野に移動してそちらで実績を生み、夢の実現に着実に近づく方がよい――、これが『諦める力』の主旨になります。

中野雄さんが音楽の分野で見た「悲劇」を、為末さんもスポーツの世界で数しれず見てきただけに、説得力のある言葉と言えるでしょう。

凡人は凡人なりにできることがあるだろう説

ローラン・シモンズ君のようになれない人が世の中の99.9%を占めていると思います。(彼も彼なりに背負っているものの重さが一般人とは全然違うので、大変な人生だと思いますが・・・。)
かくいう私自身もモブキャラ、雑魚キャラです\(^o^)/オワタ

では、凡人は存在価値がないのか。

そうではないと思います。

今の自分には凡人の存在価値とはなんだ? と問われるときれいに答えを出すことができないのですが(だから凡人なんですね)、「過去の歴史の重みを受け継いで、次世代に利息をつけて引き渡すこと」、これがせいぜい凡人=一市民にできることではないかと思っています。

2019年にはノートルダム大聖堂や首里城が焼け落ちるという事件がありました。
過去から引き継いできたものであっても、失われるのは一瞬のこと。

一市民、凡人として、過去から受け継いだ伝統なり、私たちの暮らす社会・日本の良さ(例えば謙譲の美徳とか日本語そのものの美しさとかでしょうかね)をなるべく損なうことなく、次の世代へ引き継ぐことができれば・・・。

私なりの考えとして、このようなことを思っています。