デフレか。こんなに印象派の名品がずらりと並んで1,600円なのか? 価格破壊じゃないのか・・・?

価格破壊というとなんだか家電量販店とかファストファッション店を連想しますが、2019年秋に東京都美術館で開催されている「コートールド美術館展」から出てきたときの私の偽らざる心境です。

自分の備忘録的な意味も込めて、この展覧会の見どころや感想を書き留めておきたいと思います。

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コートールド美術館展 魅惑の印象派のすごさ

コートルード美術館とは、ロンドンの中心部、トラファルガー広場から近いウェストミンスター地区にある美術館です。


マネ、ルノワール、セザンヌ、ドガ、ゴーガン。
今ではこうした誰もが知っている印象派の名品の魅力をイギリスにも広めようと、コレクターであったコートールド氏が収集した作品群がもととなって創設されたこの美術館。

こうした名作の数々が貸し出されることは、普通ありません。

ありませんが・・・。

コートールド美術館そのものが改修工事で閉館となり、まさに棚からぼた餅。
たくさんの作品が閉館中に日本へやって来ることになりました。

エドゥアール・マネ《フォリー=ベルジェールのバー》
ポール・セザンヌ《カード遊びをする人々》
ピエール=オーギュスト・ルノワール《桟敷席》
ポール・ゴーガン《ネヴァーモア》

これらが東京都美術館のHPに掲載されている「目玉」となる作品です。

しかしこの他にもゴッホ、ドガ、シスレー、ピサロ、ロダンなど、「これは!」と思うような、唸ってしまうような作品が第一室から出口までずっと並んでいるという圧巻の展覧会なのです。

コートールド美術館展 魅惑の印象派、私なりの感想

19世紀末~20世紀前半の作品が揃っている今回の展覧会。

やはり興味深いのは、今から100年ほど前のパリ市民の生活をカメラではなく、画家の視点を通じて、絵筆を使ってどう表現しているかということでした。

1888年、モネの「アンティーブ」

(以下、作品名はGoogleで画像検索すると出てくるものもあります)
アンティーブは南フランスにあるリゾート地で、カンヌ映画祭で有名なカンヌの近くにあります。
モネもここを訪れて海岸を描いていますが、海の青さや浜辺のきらめきは今とあまり変わらない(?)様子。
アンティーブは8月に実際に行ってみたことがありますが、海辺は「きらめき」というよりも実際はキラキラとギラギラの中間くらいでした。そうは言ってもモネの目にはもっと清らかな雰囲気の海だったようです・・・。(彼が見たのは夏の海じゃなくて春の海だったのかも?)

1894年、セザンヌの「キューピッドの石膏像のある静物」

アトリエのテーブル上に置かれたりんご(?)とキューピッドの石膏像。
りんごの赤さと石膏像の白さが対照的。
でもよく見ると・・・。あれ、なんだか空間表現がちょっと違和感がある・・・。あれ? あれ??


じつはセザンヌはこのように「現実には起こり得ない空間」をいかにも本当のことのようにしれっと描いてしまうことがありました。べつに悪いことでもなんでもなく、「現実の風景」を色々な視点から因数分解(とでも言おうか?)して、別の視点から一枚の絵画に組み立てるような境地を切り開いてしまいました。

「キューピッドの石膏像のある静物」は、セザンヌが開拓したそういう技法を静物画のジャンルで表現した、代表作ともいえるもの。
展覧会序盤からこういう作品が現れます!

1874年、ルノワールの「桟敷席」

当時、劇場というのは一種の社交場でもあり、桟敷席に座ることは劇場を訪れた他のお客の視線にさらされることでもありました。

そのことを意識しているのか、この絵に描かれた女性は自分が見られていることを明らかに意識し、そのことを前提にある種のポーズを取っていることがなんとなく伺われます。

あざとい? いえ、ルノワールがそう描いたということは、当時のパリの上流階級にはそういう振る舞いが定着していたことの裏返しでもありますから、それはそれで興味深いことでもあります。

1882年、マネ「フォリー=ベルジェールのバー」

フォリー=ベルジェール劇場というのは、悪魔と呼ばれたヴァイオリニスト、パガニーニにヒントを得た芝居やカンガルーのボクシングなどが見られた、パリの一大娯楽場でした。

その女給を描いたこの名品。
やはりこの作品もセザンヌの絵画と同様に「ありえない現実」を描いています。
現に、この絵画の後方には鏡が設置されていますが、その割には鏡像が見えるわけではなく、写るはずのない人物まで描き込まれています。

当時はすでにカメラが発明され、リアルさを競うならカメラには絶対勝てなくなっていました。
(なんだか囲碁・将棋や金融機関の事務処理では人間はAIに絶対勝てないみたいな話ですね。)

となると画家の生き残る道は、現実の世界を描いているように見せつつ、ありえないものをそこに忍び込ませることで逆に「画家の見た真実」を表現すること、これの他になくなってしまいます。
そこでマネは、現実にはありえない表現をすることで、彼なりに見た「パリの姿」を描ききろうとしたのかもしれません。

この作品を完成させて程なくしてマネは他界します。
事実上の遺作となった「フォリー=ベルジェールのバー」において、彼は俗っぽい劇場のバーを題材にパリの姿だけではなく、この人間社会との別れをも自分なりに表現しようとしたのか・・・。どことなくそう思えてしまいます。

おわりに

書けばきりがありませんが、とにかく名品ずらりで必ず行って後悔のない展覧会となっています。
ちなみに、国立西洋美術館では同じ時期にハプスブルク展を行っており、こちらも鑑賞する価値はあるでしょう。

となると相当歩くことになります。ご自宅から上野駅まで電車で座れなかった場合、その後も上野駅~東京都美術館まで、そして展覧会の入口から出口まで(早めに見ても45分はかかります)、最悪一切座れないこともありえますので、スニーカーなどなるべく疲れない靴をおすすめします。

また、単に見ただけではやはり記憶に定着しない(私もロンドンで同じ作品を見たことがあるはずなのに、何一つ覚えていませんでした)ので、見たあとはSNSなりブログなりで感想を書いてみるのもいいことだと思います。

チケットは当日券の場合、窓口で買うと若干並ぶことになりますがチケットぴあで事前に購入することもできます。

気になる混雑状況ですが、土曜日の15:00頃に訪問したところ、代表出品作のマネ「フォリー=ベルジェールのバー」の前には人だかりができていましたが、それ以外は「少し混んでいるが、鑑賞の支障になるほどではない」といったところでした。

背が低い私は、混雑している展覧会に出かけると「他人の後ろ頭しか見えないよ」状態になりがちですが、そういうこともありませんでした。

できればもう一度時間を作って足を運んでみたい・・・。そう思える展覧会でした。