タピオカ。やたらと流行っていて、私が2019年夏に大阪に出かけたときは梅田のあたりでどこもかしこもタピオカのお店に行列ができていました。

並んでいるのは女子高生~女子大生。

揃いも揃って女子ばかりで、男子といえばその女子の彼氏なんだろうなというのが雰囲気でなんとなくわかりました。
流行り物への期待に胸を踊らせながらワクワクしている様子は、彼女たちの表情を見ればすぐにわかりました。

ところがそういうタピオカ女子をうざいと思う人もいます。

なぜでしょうか。またその心理とは・・・?

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なぜタピオカ女子はうざいのか。

まあ確かに道路にはみ出して通行の妨げになるような並び方をされたり、飲み残しの容器をそのへんにポイ捨てされたら腹も立つでしょう。
しかし、そもそもタピオカ「女子」をうざいと言っている時点で、おそらくその人は男性だろうなと推測されます。

で、どういう男性なのかというと、
・集団行動して群れている女子がうっとうしいと思っている

・流行り物には乗っかりたくないと思っている

・タピオカとかいう流行り物に乗っかり、なおかつ「インスタ映え」などと言ってやはり流行りのツールを使っているのは二重に許せない

・そもそも「インスタ映え」なんて虚構だ。なんでそんなにSNSにこだわるのか

・そんな一瞬で消えてしまう流行に乗せられるなんてみっともない

・とかいう発想ができる俺は批判的に見られるインテリだ

なんていう人なんじゃないでしょうか。
このブログは「友だちいない研究所」と言います。もともとは、友だちいない社会人=わたしがぼっち(一人ぼっち)の日々を書き綴るために設置したものです。つまり私はもともと「陰キャ」であり「変なやつ」なので、上に挙げたような心理状態になるのをなんとなくわかるのです・・・。

もちろん、ある程度根拠もあります。このような記事を読みました。
「若者はなぜ「タピオカミルクティー」に並ぶのか、そこで得る “同調快感” の正体」というもので、

行列に並ぶことによって、マジョリティーとなる安心感を得ることができるということです。もっと言えば、疎外感や孤独を基本的には好まない本来の欲求を充足させ、安心感を満たすために行列に並ぶという同調行動をとりやすいのです。
(https://www.jprime.jp/articles/-/15142より)

という心理が、ついタピオカのお店に行列を作ってしまう背景にあるのだとか。

タピオカ女子をうざいと思う心理はこの裏返しで、「みんなと一緒になれない」「そんな自分ははみ出し者だ」「だけど自分のほうが実はクールなんだ」という、ある意味自己正当化でもあるように思えるのです。

こう書くと、どうしてもイソップ物語の「すっぱいブドウ」を思い出してしまいます。
ウィキペディアによると、

お腹を空かせた狐は、たわわに実ったおいしそうな葡萄を見つけた。食べようとして懸命に跳び上がるが、実はどれも葡萄の木の高い所にあって届かない。何度跳んでも届くことは無く、狐は、怒りと悔しさから「どうせこんな葡萄は酸っぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか」と負け惜しみの言葉を吐き捨てるように残して去っていった。

(解説)自分のものにしたくてたまらないにもかかわらず、努力しても到底かなわない対象である場合、人はその対象を「価値の無いもの」「自分にふさわしくないもの」と見なそうとし、それをあきらめの理由として納得し、心の平安を得ようとするものである。

と書かれています。「タピオカ女子がうざい!」と感じてしまう心理になんとなく一脈相通ずるものがあるようです。

おわりに

この記事は、タピオカ女子がうざい心理はなんだろうと考えながら、ネットの声をある程度拾い読みしながら作成したものです。

とはいえ他人が好きなものを馬鹿にしたり見下したりするのはあまり気持ちのいいものではありません。かくいう私も『指輪物語』を愛読するあまり、イギリスのオックスフォードにある作者トールキンのお墓まで「聖地巡礼」したことがあります。そんなマニアック極まりない趣味がありますので、誰かの趣味についてどうこう触れるつもりはありません。

タピオカの行列に友達と並ぶのもまたよし。その光景は、「友だちいない研究所」を運営している私から見れば、「自分には体験できない時間を過ごしているんだろうな。それも悪くないかもな」とも思えるのです・・・。