キアヌ・リーブスがきゃりーの曲を「哲学がある」と評しました!


映画「ジョン・ウィック:パラベラム」の劇中に「にんじゃりばんばん」が使われてるようですが、キアヌ・リーブスはどんなところに哲学を感じたのでしょうか?

そもそもきゃりーの曲に哲学がどれくらいあるのか? 私自身もきゃりーのライブに何度か足を運んだことがあるので気になって調べてみました。

にんじゃりばんばん。哲学はあるのか?

まず「にんじゃりばんばん」。


鮮やかに 恋して にんじゃりばんばん
なんだか にんじゃりばんばん
bloom bloom bloom 花びらも舞う
飛んでけ にんじゃりばんばん
常識を変えたら 驚きが日常に
にんじゃりばんばんはこういう歌詞で始まります。
キアヌ・リーブスが気づいているか分かりませんが、恋しているのが忍者。
どうやら忍ぶ恋のようなのです。

百人一首には平兼盛の和歌が収録されています。「忍ぶ恋」といえばこれを思い出す人もいるのでは。
しのぶれど色に出でにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで
(心に秘めてきたのに、とうとう顔や表情に出たようだ。私の恋は、「恋の想いごとでもしているのですか?」と、問いただされるほどまでになったのだ。)

こういう切ない恋の気持ちを忍者になぞらえて表現しているようです。

ちなみに「にんじゃりばんばん」というフレーズの意味は、中田ヤスタカさんも「わからない」(ウィキペディア)と発言しているため、とくに深い意味はないようです。

そうはいってもこういう喩えを作詞に持ち込むのはクリエイターの常套手段ですので、そこまで哲学的なことを言っているようには見えないです・・・。

なんだか社会派、「もんだいガール」

SEKAI NO OWARI・Fukaseさんとの関係を示唆したとされる「もんだいガール」は哲学というよりもなんとなく社会派な気分があります。


だれかを責めるときには「みんなとちがう」というけど
毎回「みんな」にあてはまる
そんなやつなんているのかよ
この曲がリリースされたころ、きゃりーはマスコミに私生活を報道されたことに思い悩み、一時は芸能界引退さえ考えていたとか。
そのときの葛藤がこの歌詞に込められているのでしょうか。

学校では皆同じ制服を着て、就活では同じリクルートスーツを着て、社会人になっても同じようなスーツに身を包み、品川駅をゾンビのように歩く・・・。
みんなと同じであることを暗黙のうちに強制され、すこしでもはみ出ていると批判される日本を暗に皮肉っているのでしょうか?



キアヌ・リーブスはどこに哲学を感じたのか?

キアヌ・リーブスは結局きゃりーの作品のどこに哲学を感じたのでしょうか?
本人からは詳細な説明は特にないようですが、「マントラっぽいところがある」ので哲学的だと感じたのかもしれません。

マントラとはサンスクリット語の言葉で、祈りや神の賛美などを意味する短いフレーズのこと。
瞑想をしたいときにマントラを唱えて雑念を消しているとか。
例えば、「オーム ナマッシヴァーヤ」(シヴァ神に帰依します)など。
何度も短いフレーズを繰り返し唱えることで集中力がアップするのでしょうか。

きゃりーの曲にも同じフレーズを何度も繰り返すという作りになっているものがあります。
「にんじゃりばんばん」でも「にんじゃりばんばん」が何度も出てきます。

au乗り換えソング「のりことのりお」では「のりのりのりかえる のりのりのりかえる のりのりのりかえる のりのりのりのりよ」と「のりかえ」をリピート。auに乗り換えたいという意欲を強引に刺激します! ちなみにこの曲は不意打ちのように「のりこ」と「のりお」がおかしな箇所で登場して、カラオケで正確に歌うのは意外と難しかったりします。

「インベーダーインベーダー」でも「インベーダー」を2回続けて「ボクはインベーダーインベーダー」と言っています。侵略者であることを強調したいようですね・・・。

というわけで、キアヌ・リーブスはこういう箇所に「アジア」を感じたんじゃないかというのが私の考えになります・・・。あくまでも個人の見解です・・・。