学校の宿題などで出されがちな読書感想文。

この課題が好きだという人は多分少数派ではないでしょうか・・・。

私自身も読んだ本の感想を原稿用紙何枚にまとめて書けと言われても何をどんなふうに書けばいいのか分からず、しかも読んだ本にまったく共感できなくて苦労した記憶しかありません。

その読書感想文、新海誠監督の小説『天気の子』を題材に選ぶ人もいるのではないでしょうか。
有名な映画でストーリーはみんな知っているし、面白い物語なのでサクサク読めます。

というわけで私なりになにかの参考になればと思い、読書感想文に使えそうなポイントを整理しておきました。
もし学校の課題で読書感想文を書けと言われて『天気の子』を題材に選んだ方は、こういう視点を盛り込んではどうでしょうか。

天気の子


小説『天気の子』、読書感想文に使えそうなポイント

1.複数の視点を使っている

映画版では、基本的に主人公帆高の視点から描かれています。
ところが、小説版『天気の子』では主人公帆高の目線をメインとしつつも、いろんなキャラクターの視点での語りが入っています。

これは帆高の目線です。
僕たちになにが起きたのか。僕たちはなにを選んだのか。そして僕は、これから彼女にどういう言葉を届けるべきなのか。
すべてのきっかけは――そう、たぶんあの日だ。
こちらは夏美の目線。
圭ちゃんが彼を拾った理由が私にはなんとなく分かるような気がした。私も圭ちゃんもその頃たぶん、きっかけのようなものを探していたのだ。自分の行く先を変える、ほんのすこしの風のようなものを。信号機の色が変わる、ほんのちょっとのタイミングのようなものを。
陽菜の目線でも。
深夜のマクドナルドに一人きりでいた君は、まるで迷子の仔猫みたいだった。でも、私の生きる意味を見つけてくれたのも、迷子だったはずの君だった。
このように複数の視点で出来事が語られることで、物語に厚みが加わります。何か事件があったときも証言者が一人しかないときよりも、二人、三人といたほうが信憑性が高まりますよね。それと同じことです。

いろんなキャラクターの目線で物語を語れば、世界観が深まって読者は『天気の子』のストーリーをより信頼して浸ることができるようになると言えるでしょう。

2.高校生の視点が活かされている

帆高は島しょ部の出身で、東京都心に来たのは『天気の子』のときが初めて。
彼が見る新宿や池袋は何もかもが新鮮で、驚きに満ち溢れ、それでいて怖いところもあります。
都心に住んでいると分かりにくいのですが、就職や進学をきっかけに東京にやって来た人には「電車はJRだけじゃない」「新宿はめちゃくちゃ人がいっぱいいる」「いろんな職業の人がいる」「エッチな店がある」「政府関係機関がほんとにある」などいろんなことにびっくりします。

街はひたすらに、巨大で複雑で難解で冷酷だった。駅で迷い、電車を間違え、どこを歩いても人にぶつかり、道を尋ねても答えてもらえず、話しかけてもいないのに謎の勧誘をされまくり、コンビニ以外の店には怖くて入れず、制服姿の小学生が一人で電車を乗り継いでいる様子に愕然とし、そんな自分にその都度泣きたくなった。
じつは私も生まれて初めて新宿に行った時に画廊の勧誘をされ、「なんで自分がこんな話を」とめちゃくちゃ凹んだことがあります・・・。だからこそこの帆高の気持ちはリアリティがあります!

夏美さん、ねえちょっと、今、ベルサイユ宮殿みたいなのがっ!

これもいかにも赤坂の迎賓館を初めて見た人が思いそうなことを本当に台詞化しています!

3.人の心がしっかりと書かれている

この物語を大ざっぱにまとめると、帆高と陽菜が知り合い、お互いに惹かれ合うというお話。
晴れ女の仕事をすればするほど、陽菜の体にはあるエネルギーが溜まっていき、そしてやがて姿を消してしまいます。

二人は物語の最後にある場所で再会します。
「もう二度と晴れなくたっていい!」
陽菜の瞳に涙が湧き上がる。
「青空よりも俺は陽菜がいい!」
陽菜の大粒の涙が風に舞い、僕の頬にあたる。雨粒が波紋を作るように、陽菜の涙が僕の心を作っていく。
「天気なんて――」
そしてとうとう僕の手が、
「狂ったままでいいんだ!」
陽菜の手をふたたび摑む。陽菜がすかさず、僕のもう片方の手を取る。僕たちは両手をきつく握り合う。視界が、世界が、僕たちの周囲を回っている。めくるめく世界の真ん中で、僕たちは手を握り合って舞っている。
雨が降り続く東京は異常気象ともいえる事態になっており、晴れてほしいと願うのが普通の感覚だと思います。
しかし帆高が願ったのは異常気象の解消ではなく、かけがえのないたったひとり、陽菜でした。
ここまで高ぶった感情をリアリティをもって書いてあるのは・・・、つまりそれだけ陽菜のことが大切だということですね。

4.あなたはここまで強く何かを願えるでしょうか?

帆高は陽菜と再会するために、池袋から代々木までを一気に駆け抜けます。
バイクに乗せてもらって警察の手を逃れたり、自分で山手線の線路をダッシュしたり・・・。しまいには人に向けて拳銃を発射したり・・・。

一つ一つの行為は犯罪です。

帆高がそこまでしたのは、それだけ陽菜に会いたいという強い願いを持っていたからに他なりません。
どうでしょうか。あなたはそこまで強い感情を持ったことがあるでしょうか?
あなたが帆高だったら、こういう行動を取るでしょうか?

おそらく、ノーだと思います。

だからこそ帆高が行ったことは私たちの感情をゆさぶり、一つ一つの行動が心に刻まれるわけです。
帆高の行動を一つ一つ追いかけてゆくと、彼の願ったことにも説得力を感じられます。
あの夏、あの空の上で、僕は選んだんだ。青空よりも陽菜さんを。大勢のしあわせよりも陽菜さんの命を。そして僕たちは願ったんだ。世界がどんなかたちだろうとそんなことは関係なく、ただ、ともに生きていくことを。

新海誠監督はあるインタビューで「映画は道徳の教科書ではない」といった内容のお話をされていました。
道徳の教科書ではないということは、登場人物は必ずしも正義の味方といえるような行動を取るわけではなく、時にはひんしゅくを買うようなこともすることでもあります。

それでも私たちはなにかを願わなくてはならない時があり、そういう感情の中に人間性とはなにか、という問いへの答えが潜んでいるのかもしれません。

おわりに

私なりに小説『天気の子』について、読書感想文に使えそうなポイントをまとめてみました。
もし面白い視点だな、と感じてくださったらこれに勝る喜びはありません。
映画とは違った鑑賞ができるのが小説の良いところですから、何度も読み返してみて自分なりの楽しみを見つけるのもまた一興ですね。