大指揮者として知られる小澤征爾さん。1935年に満州で生まれ、のち立川そして足柄に暮らし、師斎藤秀雄氏と巡り合いそして指揮者への道を歩みます。

小澤征爾さんの若き日のキャリア形成は、どことなく『のだめカンタービレ』にだぶるところがあります。

architecture-1850676__340


小澤征爾さんの若き日のキャリア形成

1959年、貨物船にスクーターそしてギターケースを抱えて乗り込み、勇躍フランスを目指します。
目的は指揮者としての修行を積むためでした。詳細は『ボクの音楽武者修行』という本に書かれていますが、日本を離れ東南アジア、中近東、そして地中海を抜けてマルセイユに上陸した彼は時には野宿をしながらもパリへ向かいます。(この辺りはまるで昔あったTV番組「猿岩石」のようです。)

指揮者なのにギターケース? と思うかもしれませんが、自分は音楽家であるとビジュアル的に示すためにギターケースを一応持っていたようなのです。

そして同じ1959年にフランスのブザンソン国際指揮者コンクールで優勝します。
彼の指揮法は師匠斎藤秀雄氏から叩き込まれた「斎藤メソッド」と呼ばれるもので、とにかく誰が見ても明確な指示を出すことができ、したがって音が揃いやすいのが特徴でした。

斎藤先生は指揮の手を動かす運動を何種類かに分類して、たとえば物を叩く運動からくる「叩き」とか、手を滑らかに動かす「平均運動」とか、鶏の首がピクピク動くみたいに動かす「直接運動」というような具合に分類する。そのすべてについていつ力を抜き、あるいはいつ力を入れるかというようなことを教えてくれた。その指揮上のテクニックはまったく尊いもので、一口に言えば、指揮をしながらいつでも自分の力を自分でコントロールできるということを教わったわけだ。

こうした精緻な動きを武器に、コンクール本選課題曲であるドビュッシー、ヨハン・シュトラウス、ビゴーの曲を指揮し、見事優勝を勝ち取りました。

コンクールで優勝という成果を挙げた小澤征爾さんはトゥルーズのオーケストラを指揮するチャンスをものにしたり、カラヤンやミュンシュ、バーンスタインといった指揮者から直接教えを受ける機会を得ています。
その後、ニューヨークフィルハーモニックの副指揮者となり、さらにトロント交響楽団の指揮者の座を射止めています。

千秋真一、パリ留学編でやはり指揮者コンクールに挑む

『のだめカンタービレ』の千秋真一もやはり指揮者コンクールに挑んでいます。
こちらの方は一筋縄ではいかず、強力なライバル・ジャンが現れたり、彼の指揮姿を見て焦りを感じ、挙げ句指揮をミスしたりとギリギリセーフで本選に滑り込んでいます。

そこはそれ本選では実力を発揮し、作曲家が作品に込めたメッセージを最大限に表現しようとする姿勢が評価を受け、見事優勝に輝きます。

その結果としてパリでオーケストラを指揮できることになり、そのまま事務所も決定、日本での師であるシュトレーゼマンについて演奏旅行へ出かけることに・・・。
さらにマルレオーケストラの常任指揮者となります。

こうして見ていくと、『のだめカンタービレ』では小澤征爾さんの成功事例を一つの骨子としてプロットを練っているのではと考えられる点があります。
・フランスのコンクールで成功を収めたこと
・師匠と巡り合うこと
・プロオーケストラの常任指揮者に任命されること

もちろん、このようなキャリア形成は指揮者を目指す若者の王道と言えるもので、小澤征爾さん=千秋真一と必ず断定できるわけではありませんが、成功している指揮者の歩み方の一つの典型として共通点が多く見られます。

おわりに

小澤征爾さんは2002年にウィーン国立歌劇場管弦楽団の音楽監督に就任しています。
日本人としては国際社会のなかで獲得した地位の中でひときわ輝くものであることは疑いありません。
2019年8月には久しぶりに指揮台に立った小澤征爾さんですが、若者たちに音楽を教えたいという気迫は並々ならぬものが感じられます。
一日でも長く生きて、将来を担う学生たちに少しでも多くのことを伝えていただければと思います。

参考文献