新海誠監督の新作『天気の子』。大ヒットを記録する一方で賛否両論だとか。

新海監督は「この映画について『許せない』と感じる人もいるだろうと思いました。現実の世界に適用すると、主人公の帆高は社会の規範から外れてしまうわけです。弁護士の先生にもお話を聞いたんですが、法律で考えても、結構な重罪で…。帆高が空の上で叫ぶセリフも許せないし、感情移入できないという人もたくさんいると思います」と批判的な意見にも心を寄せ、「いまの社会って、正しくないことを主張しづらいですよね。帆高の叫ぶ言葉は、政治家が言ったり、SNSに書いたりしたとしたら、叩かれたり、炎上するようなことかもしれない。でもエンタテインメントだったら叫べるわけです。僕はそういうことがやりたかった」と語る。
(https://movie.walkerplus.com/news/article/200868/より)

私は以前帆高の家出の理由について、家から持ち出していた小説『ライ麦畑でつかまえて』がヒントになっているはずだという記事を書いたことがあります。


ここを手がかりに、『天気の子』における表現方法の一つとして「メッセージの圧縮」があるのではと考えいました。

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『天気の子』における表現方法の一つに「メッセージの圧縮」?

その記事を短くまとめると、
・帆高が家出した理由は作中ではサラッとしか語られていない
・しかし、注意深く見ていくと、『ライ麦畑でつかまえて』が何度か映し出される
・その小説のメッセージを調べてみれば、帆高の家出の理由がなんとなく分かるはず
というものでした。

私なりにこれを名付けるとしたら「メッセージの圧縮」だと考えています。

映画には当然「尺」=時間制限がありますから、全てを語り尽くすことはできません。
もし実際にやってしまったらものすごく冗長になり、とても見ていられないでしょう。
だからこそ「分かる人には分かるはず」という程度に台詞ではなく何らかのアイテムを映し出すことなどで背景となる事情を表現してしまうのです。

『天気の子』における表現方法「メッセージの圧縮」は過去の芸術作品でもよく使われている

古文の授業で「本歌取り」を習いませんでしたか。
「本歌取り」とは古い歌を素材にして新しく作歌する技法のこと。とられた古歌を本歌といいます。

『新古今和歌集』には「駒とめて袖うちはらふかげもなし 佐野のわたりの雪のゆふぐれ」という有名な歌があります。(意味は「馬をとめて、袖に積もった雪を払い落とすような物影すらない。佐野の渡し場の雪の夕暮れどきよ」)

これは万葉集の「苦しくも降りくる雨か三輪が崎 狭野の渡りに家もあらなくに」が本歌となっています。(意味は「大変なことに雨が降ってきた。三輪の崎の狭野の渡し場には雨宿りする家もないのに」)

本歌取りをする意味ですが、そもそも短歌には31文字という厳しい制約があります。
しかし本歌取りをしてしまえば、自分の歌に他人の作品の世界観を盛り込むことができますから、文字制限という限界を超えて表現に奥行きを加えることになります!

新海誠監督も帆高に「家出の理由は・・・で、でも・・・は・・・だから、かくかくしかじか」と語らせることで尺を消費してしまうよりも、『ライ麦畑でつかまえて』を1秒だけスクリーンに映すことでこの小説が示す価値観・世界観を手短に表現させたほうが手っ取り早いし、家出の理由を暗示させることにもなるから表現技法としてクールだ・・・。そう考えたのかもしれません。

似たような表現技法は西洋絵画でもよくある

たとえば楽器を弾いている男女を描くことで、この2人は恋愛関係にある、しかも不倫ではないかということを暗示したり、ドクロを描くことで生命の儚さを表現したり・・・。
夫婦の肖像画にオレンジが描かれていたら、それは純潔と無垢の証ですから、2人の清らかな関係を示していたり・・・。

絵画は文字通り「絵」で世界観を表現しなくてはなりませんから、物や背景などに意味を込める必要があります。そこで「寓意」が用いられるわけです。

知っている人ならその「寓意」を感知して「あ、この人物はこういう立場なんだな」と画家のメッセージを一瞬で理解できてしまいます。

おわりに

「メッセージの圧縮」は私なりの造語です。
私が気づいた「メッセージの圧縮」は『ライ麦畑でつかまえて』ですが、おそらく他にも膨大な情報量を一瞬で表現する場面がたくさんあったはず・・・。

劇場公開以来、何度も映画館に足を運んだ熱心なファンの方なら数多くの(ひそかな)メッセージに気づいているはずだと思います(うらやましい)。

日本のアニメーションは細部にも丁寧に気配りが行き届き、繰り返しの鑑賞に耐えうるクオリティになっているのが何よりの魅力。
私も『天気の子』を見るためにもう一度映画館へ行こうかと考えています。