会田雄次氏『日本人の意識構造』という本に気になる箇所があったのでメモ。

日本人の平和というものは、放っておいたら人類は平和になるはずという立場だ。悪い奴がどこからか出てきてその平和を害するのだから、その魔手を拒否しさえすれば内側は平和になり戦争は起こらない、という観念が日本人の平和を守るという観念なのである。

しかしヨーロッパ人にとっては、平和というものは、はっきりと建設するものなのである。平和は日々建設していかなければならない。その姿勢は外界に応じ、たえず変化をしなければならぬ。そうでないかぎり、平和は崩壊し、戦争になってしまう。つまり存在ということは、日本人の場合は現に「ある」のであるが、向こうの場合は「作る」のである。ヨーロッパの「作る」に対しては、日本人は「なる」ということであろう。
ゲーテの『ファウスト』にもこの考え方に通じる場面があります。

あらゆる学問を修めたファウストは悪魔メフィストフェレスと契約し、もう一度人生をやり直し、生きることの意味を探求する旅に出ます。
その果てに老境を迎えたファウストはある地の領主となり、盲目となります。それでも自分の命令のもとに治水工事を行う労働者たちの生活を思い描き、こう独白します。

外では海が岸の縁まで荒れ狂おうが、
中の土地は楽土となるのだ。
潮が力ずくで土を噛み削ろうとしても、
万人が力を協(あわ)せて急いで穴をふさぐだろう。
そうだ、己はこういう精神にこの身を捧げているのだ。
それは叡智の、最高の結論だが、
「日々に自由と生活とを闘い取らねばならぬ者こそ、
自由と生活とを享(う)くるに値する」
(引用は新潮文庫『ファウスト』高橋義孝訳より)

たとえ荒波が押し寄せてこようとも、人々が堤防を保守するかぎりにおいては、平和は保たれる。
そうした日々の積み重ねがあってこそ、自由な生活を享受できる。
そういうことを言っているようです。

思想家・丸山真男も同じようなことを言っている

高校の現代文の教科書にも取り上げられている丸山真男氏の『「である」ことと「する」こと』(岩波新書『日本の思想』収録)にも似たような言葉がありますね。

お金を貸したのに、戻ってこない。それは当然である。あなたが「お金を返せ」と当たり前のことを要求しなかったのだから・・・。

丸山真男氏はこれを「権利の上に眠る者」と呼んでいます。
権利があるからと安心しているだけではだめ。権利を行使しないと、いずれその権利が消滅してしまうぞという警告です。

日本国憲法にも同じことが書かれている――。そう丸山真男氏は指摘しています。
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」と記されています。この規定は基本的人権が「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であるという憲法第九十七条の宣言と対応しておりまして、自由獲得の歴史的なプロセスを、いわば将来に向って投射したものだといえるのですが、そこにさきほどの「時効」について見たものと、著しく共通する精神を読みとることは、さほど無理でも困難でもないでしょう。
ご存知のように日本国憲法は戦後アメリカが主導して起草したもの。会田雄次氏が指摘し、ゲーテの作品にもにじむ欧米的な価値観が日本国憲法に反映されていたとしても不思議ではありません。

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平和の作り方・コツ・手順とは?

ここまでお読みいただくとお分かりのように、平和は誰かから与えられるものではなく、日々の積み重ねを通じて維持していかなくてはならないもののようです。

丸山真男氏は指摘します。
この憲法の規定を若干読みかえてみますと、「国民は今や主権者となった、しかし主権者であることに安住して、その権利の行為を怠っていると、ある朝目覚めてみると、もはや主権者でなくなっているといった事態が起こるぞ。」という警告になっているわけなのです。
政治の世界では、国民が自ら権利を行使していかないと、いつの間にか失われてしまう。
「しんどいから自分以外の誰かになんとかしてほしい」、そう願っているとナポレオン3世やヒトラーのような人物が権力を握り、あなたの権利は失われてしまう・・・。そういうことを言っているわけです。

こう考えると、世界平和も同じことが当てはまるでしょう。
「世界よ平和になれ」と願っているだけでは意味がありません。
「世界を平和にする」ための確かな行動が伴っていないとその平和は失われてしまうのです・・・。

会田雄次氏の『日本人の意識構造』は欧米のものの考え方を日本人の考え方を対比させることでその違いを明らかにしている名著として知られていますが、平和についての考え方は鋭いものがありました。