新海誠監督の2019年作品『天気の子』。

この作品では、祈ると天気を変えることができるキャラクターが登場します。
2021年(令和3年)の東京では数ヶ月にわたって晴天がなく、ほとんど雨続きの異常気象が続いていたが、その状況でも晴天を呼ぶ「100%の晴れ女」がいるという都市伝説が流れていた。ある日、帆高は天野陽菜(あまの ひな)という少女と出会い、彼女が祈るだけで局地的に晴れ間を呼び寄せる能力を目の当たりにする。
(ウィキペディアより)

もちろんこれはフィクション作品です。
しかし雨乞いの祈りや雨を止めたいという祈りが歴史上存在したことも事実。

そもそも祈りで雨を降らせることはできるのでしょうか?

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雨乞いの祈り

たとえば日本では『日本書紀』に天皇が雨乞いの祈りを行ったという記録が残されています。
天皇は民のために祭祀を行うのがその務めであることがうかがわれる貴重な記録となっています。

キリスト教でも雨は神からの贈り物という位置づけになっているようです。この宗教発祥の地であるパレスチナは一応乾季・雨季というサイクルがありますが一年を通じての降水量は日本よりも遥かに少なく(私の計算ではおおむね1/3程度)、雨は貴重なもの見られていたからなのでしょう。
だからなのか、『旧約聖書』では預言者の体を通じて神があえて干ばつをおこすことで異教からの改宗を迫る場面があります。

キリスト教が伝わる以前のローマ帝国でもローマ中心を流れるテヴェレ川に人形を投げ込むという雨乞いの祈りの儀式を行っていたと伝えられています。


雨を止める祈りとは

雨が降らないと農作物が育ちません。
そんな貴重な雨を止める祈りなんてあるのでしょうか?

・・・ありました。

東京都大田区にある厳正寺
こちらでは水止舞(みずどめのまい)という踊りが現代に伝わっており、昭和38年に東京都無形民俗文化財に指定されています。
水止舞の起源は、元亨(げんこう)元年(1321)年に遡る。武蔵の国(現在の関東辺り)が大干ばつに見舞われた際、住職の第二世法蜜上人がワラで龍像を作って祈祷を捧げ、雨を降らせた。しかしその2年後、今度は長雨が続き、田畑が流出。長雨は2年前の雨乞いの祈祷のせいだと上人を恨む人が出てきたため、上人は今度は獅子の仮面を3つ作って「水止(しし)」と命名。それを農民にかぶらせて舞わせ、太鼓を叩かせ、法螺貝を吹かせ、龍神に雨がやむよう、「水止」の祈祷を捧げたところ雨は止み、人々は感謝の舞として、「水止舞」を捧げるようになった。
(以上、厳正寺HPより)



たしかに雨のおかげで農業ができるといっても水害になってしまうレベルの降り方だとさすがに勘弁ですね・・・。2018年も西日本では集中豪雨が各地で発生しました。
温暖化の影響で似たような事例が多発しそうな気がします・・・。

結局、祈りで雨が降ったりやんだりするのか?

実際問題、それで雨が降ったりやんだりすることはありえないでしょう・・・。
あくまでのこれは祈り=人間がやっていること。
気象現象が人間の思いでコントロールできるわけではありませんから(北京オリンピックのときのようにヨウ化銀を搭載したロケット弾を空に向けて発射することで雨雲を消してしまうことは可能ですが)、身も蓋もない話ですが祈りで雨が降ったりやんだりしません。

むしろ個人的には、雨を求めたり止んで欲しいと願ったりする「祈り」そのものに文化的な価値を感じたいと思っています・・・。

たとえばブラームスの『ヴァイオリンソナタ第1番ト長調「雨の歌」』。
雨が人を内省的にさせるのか、しみじみとした情感にあふれた名曲です。

 

レゲエミュージシャン、ボブ・マーリィは「雨を感じられる人間もいるし、ただ濡れるだけの奴らもいる」という言葉を残しています。

こうした雨にまつわる色々な音楽や言葉を愛でるのもまた一興ではないでしょうか。