岡山県にあるノートルダム清心学園理事長を長年にわたり務められた渡辺和子さん。
著作『置かれた場所で咲きなさい』はベストセラーになりました。
渡辺和子さんの写真を見ているととても清らかな笑顔で写っていて、顔や表情はこころの窓であることを見証明していると言えるでしょう。

その渡辺和子さんも現役時代は非常に忙しい毎日を送っており、「修道者であっても、キレそうになる日もあれば、眠れない夜もあります。そんな時に、自分をなだめ、落ち着かせ、少しだけでも心を織田赤にする術を、いつしか習いました」。

こうした心持ちから生み出されたのが『置かれた場所で咲きなさい』だったようです。

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多忙ななかにも祈りを忘れないという姿勢

渡辺和子さんは学内の修道院に暮らし、そこから毎日出講していたようです。
私が住んでいる修道院は、大学内の建物の四階にあるので、毎日のように九人乗りの小さなエレベーターで出勤し、帰宅しています。ある日、階数ボタンを押した後、無意識に「閉」のボタンを押している自分に気付きました。つまり、ドアが自然に閉まるまでの時間、大体四秒ぐらいの時間が待てないでいる自分に気づいたのです。
そして、考えさせられました。「四秒すら待てない私」でいいのだろうかと。
そして渡辺和子さんはただちに(ここがすごいところです)行いを改め、待っている間に学生たちのため、苦しむ人のため、平和のために「アヴェマリア」を唱える習慣を身に着けたそうです。

渡辺和子さん、けっして話が合わないはずのあの人と同じ結論に

このエレベーターのエピソードから、渡辺和子さんは「時間の使い方は、いのちの使い方」だと結論づけています。

じつは同じことを言っているある有名人がいました。
ライブドア元社長、堀江貴文さんです。
堀江貴文さんも著書『ゼロ』において、「時間=命」と語っています。
時間こそが命そのものであり、本来ならばお金よりもはるかに尊いもの。
だからこそワクワクしないこと=他人の言葉に振り回されてはならず、自分が真に価値を感じられることに向き合うべきだと説いています。

このお二人がもし会うことがあったとしたら、きっと性格的にも、普段の行動から言っても、おそらく話が噛み合うことはなかったでしょう。
渡辺和子さんは祈りの人であり、堀江貴文さんは多動の人ですから、基本的価値観は同じでもそこから派生する日々の行動はまるで違ったものになります。

それでも「時間」すなわち「命」の尊さに思いを致し、日々「どんなところに置かれても花を咲かせる心を持ち続けよう」と諭す渡辺和子さんの言葉に多くの学生たちが救われたであろうと思われます。


忙しさを克服して心にゆとりを失わない生き方のために

あるビジネス雑誌のコラムで「エレベーターに乗ったら、まず『閉』ボタンを押してその後に階数ボタンを押すのが一番速い」と書かれているのを目にしたことがあります。
たしかに忙しいサラリーマンにとってはそうするのが合理的なのかもしれません。

とはいえ、そういう身振りに私はどことなくさもしさを感じてしまったのも事実です。

待っている間に「アヴェマリア」を祈る姿勢と、別のフロアへ1秒でも速くと急ぐ姿勢、どちらが美しいのか・・・。

私はイライラした気持ちになるたびに、つとめて『置かれた場所で咲きなさい』の言葉を思い返すようにしています。「時間の使い方は、いのちの使い方」であり、待っている間にも誰かのために祈ることはできるのだと・・・。