NHKの朝ドラ『なつぞら』。
この作品では主人公の奥原なつ(広瀬すず)とそのきょうだいは空襲で親を亡くしたという設定になっています。

東洋動画の就職試験でも、なつは「君は戦災孤児なのか」と面接で問われており、戦争の記憶が時折ドラマに影を落としています。

ドラマのところどころでもなつの幼少時代の記憶として靴磨きをしているシーンや、施設で過ごしている場面が描かれています。


『なつぞら』の公式ツイッターでも焼け野原になった東京のセットを映し出した一コマが投稿されています。
では実際の戦災孤児の様子はどうだったのか、また当時の国の対応はどうだったのかを調べてみました。

『なつぞら』で描かれる戦災孤児。実際の戦災孤児の様子は

調べてみるとすぐにNスペPLUSで当時の様子を証言している人の記録が確認できました。

終戦直前に山形で空襲にあい、15歳で親を亡くした金子トミさんは上京当時の状況を説明しています。
終戦直後の上野。そこは連日のように死者がでる過酷な状況だった。わずかなお金しかなかった金子さんが買えたのは、1日1本のサツマイモだけ。ほかの人に見えないよう、きょうだい3人で分け合って食べた。食べる物のない子どもが命を落としていく様子を見て、金子さんは強い罪悪感にさいなまれたという。「自分を守るので一杯で、あげられないんです。かわいそうだなと思うだけで、私ひとりじゃない、弟と妹がいるから。ただ亡くなるとかわいそうだなと思うだけで、自分のことで精一杯でした。」(金子さん)
戦災孤児は当時12万人を越えていたものの、彼らを受け入れる施設は絶対的に不足していました。そのうちの1つ、板橋の東京都養育院では伝染病が蔓延し、子どもたちが次々と命を落としていったそうです。当時、この施設で働いていた矢嶋ゑつ子さんはこう語ります。
「大きい子はけっこう上までいったんですけど、小さい子はもうダメでしたね。だいぶ亡くなりました。火葬なんか間に合わないから、養育院の敷地内へ穴掘って、焼きもしないでそこへ重ねて入れて。仕方なくやったんですよね。」(矢嶋さん)
東京都養育院の土葬者名簿には、昭和20年3月から昭和21年9月までに土葬された2,700人の名前と年齢が記録されていた。9歳以下の子どもが342人、10代の子どもも86人が亡くなっていた。
このような状況について、政策は完全に後手に回っていました。
なぜ国は、有効な対策をとることができなかったのか。当時の厚生省の幹部は、子どもたちの保護を後回しにせざるをえない状況だったと告白している。
「あのどさくさに会社は全部閉鎖してしまう。そこから吐き出す失業者は非常に多い。外地からは引揚者が600万も帰ってくる。そんなことで全くてんやわんやの状態。もうほとんど子どものことなどというものは問題にもならなかった。」(昭和27年刊『児童』“児童行政の回顧と展望”より)
以上のように子どもたちが置き去りにされ、GHQの指示で『なつぞら』でも描かれていた「狩り込み」が行われるようになりました。しかし収容施設の環境はきわめて劣悪で、子どもを檻のなかに閉じ込める場合もあった模様です。

戦中~戦後と変化する人口政策

内閣府の資料「平成20年度 アジア地域(韓国、シンガポール、日本)における少子化社会対策の比較調査研究報告書」には、戦中から戦後までの人口政策が書かれています。これによると、日中戦争から太平洋戦争までの戦時下にあって、「戦争遂行に必要な人的資源の供給先としての家族に対し、「産めよ殖やせよ」政策による介入が始まった」と書かれています。
ところが敗戦ののち、状況は一変します。
敗戦により日本は一転して人口過剰問題に直面した。植民地は失われ、戦災で荒廃した国土に引き上げる者や復員兵が大量に帰還し、食糧難、住宅難の中、「第一次ベビーブーム」が起きたのである。しかし、1948年制定の優生保護法によって人工中絶が合法化され、その後自由化されたことから、1950年以降、出生率は急速に低下に向かった。
(中略)
企業側も従業員家庭が避妊を実行して少ない子どもを計画的に産むようになれば、妻は明るく元気になり、夫は生産活動に専念し職場での事故も減り、会社は医療費や家族手当等々の負担を軽減できるという狙いがあった。
つまり戦時中と戦後で政策が180度転換していることがうかがわれます。当時の子どもたちには政治情勢には一切関わる余地はありませんでしたが、そのツケを子どもたち、そして将来世代が背負うことになったのは言うまでもありません。

「団塊の世代」について

話は『なつぞら』から逸れますが、この狭間の世代が「団塊の世代」であり、この世代だけ前後の世代に比べて突出してボリュームがあることが経済動向や社会構造に大きな影響を与えることになります。(例えばですが、突如として大学進学希望者が急増し、泥縄式に大学を増やしたものの、その人口の波が通り過ぎるとたちまち定員割れに陥り経営難になってしまう大学が出てくるなど。)

小説『団塊の世代』を書いた堺屋太一氏はこの作品のまえがきで、この世代が年老いたとき、医療費や年金負担が膨大なものになることを述べています。今にして思えば当然のことですが、出版当時(1976年)にはこの警告はきわめて斬新であり、しかも問題が顕在化していないという点で誰もが目を背けていたのも当然だったのかもしれません。

おわりに

『なつぞら』は昭和30年ごろの北海道や東京を舞台に、自分の夢をそれぞれに追いかける奥原なつや山田天陽といった若者たちの姿を描いています。一見して明るさに満ちたドラマですが、その明るさの端々から戦争の記憶が時折顔を出します。

今回戦災孤児の状況や、子どもの関連する人口政策のあらましを調べてみて、改めて若い人たちが未来に希望をもって暮らせる社会のありがたみを感じました。
1話15分のドラマではありますが、突っ込んで調べてみるといろいろ勉強になるものです。


参考資料等