NHKの朝ドラ『なつぞら』。
東洋動画で働き始めたヒロイン、奥原なつ(広瀬すず)は元ダンサー、岸川亜矢美(山口智子)の助言もありえらく派手な服装で毎日出勤しています。
「男を誘ってんじゃないか」のようなことも先輩に言われてしまいますが、そこはなつの持ち前の明るさで自分のスタイルを貫きます。
ちょっとやそっとの壁にもへこたれない強さを持つのが朝ドラのヒロインの特徴ですが、奥原なつもそうした性格を受け継いでいるようです。
しかしそのファッションですが、昭和30~31年当時という時代にあってどれくらい斬新(派手)だったのでしょうか?
奥原なつのファッションは当時としてはどれくらい斬新なのか。どうやら当時の流行の最先端だった模様
とりあえず公式ツイッターアカウトから画像を貼ります。
【公式】連続テレビ小説「なつぞら」@asadora_nhkなつの影響で服が華やかになってきたモモッチ。カラフルで個性的な衣装の2人をパチリ。
2019/06/10 08:15:08
#朝ドラ #なつぞら #広瀬すず #伊原六花 https://t.co/0HK1GOlgLP
派手ですね・・・。正直、私はふなっしーとかくいだおれ太郎とかを連想しました。
【公式】連続テレビ小説「なつぞら」@asadora_nhkこちらのほうが職場に着ていく服装としては常識的でしょう。本日の放送から登場し、なつと一緒に作画課の試験を受けた三村茜役・渡辺麻友さんの撮影風景です。
2019/06/07 08:15:09
#朝ドラ #なつぞら #広瀬すず #渡辺麻友 https://t.co/M4GMuiDOMY
では、奥原なつのファッションは昭和30年頃の時代にはどれくらい斬新なのでしょうか。
昭和31年の『年次経済報告』の序文にはこう書かれています。
もはや「戦後」ではない。我々はいまや異なった事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる。そして近代化の進歩も速やかにしてかつ安定的な経済の成長によって初めて可能となるのである。
「もはや戦後ではない」、この言葉は第二次世界大戦の惨禍からの復興を宣言した象徴的な言葉として流行語にもなりました。
当時の日本経済は、朝鮮特需の影響などにより戦前水準に向かって順調に回復し、その後の高度成長に向けて成長を加速させてゆくことになります。
このように将来への希望に満ち溢れた時代だったと言えるでしょう。
そうした時代の雰囲気はファッションにも影響があったものと思われます。
・・・と思い当時の写真を探してみました。
(新京成線の開通。昭和30年。松戸市HPより)
米軍が撮影した当時の東京の映像もYouTubeにありました。
いまいち画像が小さかったり、モノクロだったりと見づらいのですが全体的に男性はそろって背広を着ていたりと、どことなく明るさというよりも真面目な雰囲気が漂います。
というサイトではブラウスや着物などを着ている写真が確認できます。
さすがにきゃりーぱみゅぱみゅのような人はどこにもいません・・・。
というサイトも見つけることができました。
こちらでは、当時の流行の最先端だったファッション雑誌のモデルと思われる画像が多く掲載されています。
こちらのサイトの画像は、どこか既視感が?
そう、この記事冒頭のなつぞら公式ツイッターの投稿に掲載されている2人の衣装にそっくり。
「昭和32年の女性誌の服装」というパラグラフには、まるで三村茜のような服装の女性も登場します。
つまり、奥原なつは当時の流行の最前線と考えられる装いだったこと、三村茜は洋服を着ることがむしろ当然になりつつあった時代にあって、社会進出を始めた女性が職場で着るべき装いの一つの典型像だったものと考えられます。
おわりに
私はこのブログの以前の記事で出前のメニュー価格設定が妥当なものだということを書きました。
もちろん、制作にあたってはファッションについても綿密に時代考証を行っているはず・・・。
となると奥原なつの服装も、また職場の先輩の反応も当時の時代の空気感を十分に反映したものだと考えて良いと思われます。
(余談ながら、私の職場にも数年前にNHKから「昭和初期、教師が黒板に板書をするにあたり必要なことを教えて欲しい」という問い合わせが来たことがありました。話を聞くと、ほんのワンシーンでしかないはずなのによくもそこまで、と思いました。)
『なつぞら』も何気なく見ていると気づかないものですが、注意深く見ているとこの他にも当時ことをきちんと調べた上で映像化しているような箇所が沢山あるのかもしれません。
引き続きドラマの細かい部分にも注目していきたいと思います。
関連記事:『なつぞら』の時代考証。東洋動画に貼ってある出前メニュー表の値段を検証してみる。
(今回の記事は敬称略としました。)
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