NHKで放送中の朝ドラ『なつぞら』。
アニメーターの夢を追いかけて上京した奥原なつ(広瀬すず)は新宿で兄の咲太郎(岡田将生)と再会を果たします。

兄は劇場ムーラン・ルージュ再興を目指して何やら色々な仕事をしているようです。
ある日は歌舞伎町でサンドイッチマンをやっており、鶴田浩二の「街のサンドイッチマン」を歌ってお店に客を呼び込もうとしていました。

何をしているのかと妹なつから問い質された咲太郎は「見ての通り、サンドイッチマンやってるんだよ。鶴田浩二の歌が流行っているから人気あるんだぜ」。

うーん、さすが昭和30年頃を舞台にしたドラマだけあって、鶴田浩二の名前が出てきても不思議ではありません。
しかし「街のサンドイッチマン」とは・・・。

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昭和のスター、鶴田浩二

鶴田浩二は1924年生まれ。1987年に没するまで主に映画界で活躍していました。
出演した映画作品は数多くありますが、「神風特攻隊の出身」(実際は整備科出身であり、戦闘機に乗って出撃する立場ではなかった)としてのイメージからか戦争を描いた作品である『雲ながるる果てに』や任侠ものが代表作として知られています。

彼は独特の歌い方でも知られており、「街のサンドイッチマン」のほかにも「赤と黒のブルース」「傷だらけの人生」など哀愁が漂う歌のほか、軍歌「同期の桜」などを録音しています。
とくに「同期の桜」は独特の「間」というか「ため」があり、軍国主義云々を差し置いて歌唱表現という観点から言っても注目すべき価値があると思います。
鶴田浩二の渋みのある声は歌だけでなく語りもぜひ耳を傾けていただければと思います。

「傷だらけの人生」

歌が始まる前の渋みのある語り口にご注目ください。


「同期の桜」

遺書の朗読の中にある「小野栄一」とは鶴田浩二の本名です。
美空ひばりも「同期の桜」を録音していますが彼女のほうが一般的というか正統派な歌い方。
鶴田浩二の「間」は彼独自の芸で、こういう歌い方をしている人は他に(おそらく)いません。


鶴田浩二「街のサンドイッチマン」。どんな歌か

街のサンドイッチマンは昭和28年(1953年)発表。
宮川哲夫作詞、吉田正作曲による作品であり、彼の最初のヒット作でもあります。
ちなみに吉田正は「異国の丘」の作者でも知られており、劇団四季のミュージカル『異国の丘』でもこの歌が使われています。

歌詞は次のようなものです。

ロイド眼鏡に 燕尾服
泣いたら燕が 笑うだろ
涙出た時ゃ 空を見る
サンドイッチマン サンドイッチマン
俺(おい)らは街の お道化者
呆(とぼ)け笑顔で 今日もゆく



サンドイッチマンは咲太郎が歌舞伎町でやっていたように看板を背負って呼び込みをするのが仕事。
当然ながら常にニコニコしていないといけません。
しかし仕事がうまくいかない、給料が安いなど心の中ではどこかしらに悲哀を抱えているのはサンドイッチマンも同じ。

そうは言ってもお客さんの前で涙を見せることはありません。心の中に哀しみがあるのはお客さんも同じこと。彼はエンターテイナーなのです。涙をこらえて、彼は今日もお客さんの心に明かりを灯します・・・。

あかるい舗道に 肩を振り
笑ってゆこうよ 影法師
夢をなくすりゃ それまでよ

おわりに

『なつぞら』は第二次世界大戦の集結から10年しか経っていない時代を描いた作品であり、戦争の惨禍や平和のありがたみというのは当時の日本人が共有していた思いだったはずです。

しかし『なつぞら』では戦争の悲惨さが描かれることはほとんどなく、間もなく高度成長期を迎えようとしている時代特有の明るさに満ちており、登場人物も皆いわゆる「いい人」に満ち溢れています。
戦争を経て生まれ変わった戦後日本の、また奥原なつたちを始めとするある種の青春群像とでも言えばよいのでしょうか、全体的に明るい空気に満ちており、見ていると人の心の温かさにふれる佳品だと思います。

6月からはアニメーターとなった奥原なつが一段と成長した姿を見せるはずです。
私も引き続き『なつぞら』に注目していきたいと思います。
(記事中は敬称略とさせていただきました。)