ワーグナーの音楽は高い中毒性を持っていることで知られており、例えば『トリスタンとイゾルデ』の無限旋律はいつまでたっても「解決」しない(その曲の調に即した和音=主和音が鳴り響いて終わりらしい雰囲気にならない)ことで知られています。
このことが音楽に大変な官能性を与えることで「ワーグナーの毒」が体を巡り、やがては繰り返し聴くようになる愛好家を沢山生んでいます。

他にも白昼夢を見ているかのような『ローエングリン』や『ニーベルングの指環』とくに『ワルキューレ』などの神話性や思想性は作曲当時からルートヴィヒ2世などを魅了していました。
血なまぐさい戦場を思わせる「ワルキューレの騎行」は非常に有名なもので、一度は耳にしたことがあるはずです。



さて、ワーグナーは大変な反ユダヤ主義者でもありました。
悪名高き論文「音楽におけるユダヤ性」は、ユダヤ人の中にもマイアベーアやメンデルスゾーンのような優れた音楽家がいたのに、そのことを逆手に取って「バッハやベートーヴェンと比べれば大したことがない」といった論調でユダヤ人を批判しています。

こうした特徴から、ヒトラーがワーグナーの音楽を高く評価したのは必然だったと言えるでしょう。
ヒトラーは、さらにはナチスのプロパガンダのためワーグナーを大々的に政治利用するようになっていったことは広く知られています。このため、イスラエルでは今なおワーグナーを演奏することはタブーとされています。

晩年のヒトラーは正常な判断力を次第に失い、第二次世界大戦の戦略を策定するうえで占い師の助言などを取り入れていたと伝えられています。
1945年4月、連合軍がベルリンに迫るとヒトラーは自殺を決意しますが、その時彼は自分を『ニーベルングの指環』の英雄ジークフリートに見立てていた可能性が否定できません。
ワーグナーの『ニーベルングの指環』4部作(『ラインの黄金』『ワルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』)を自分とともに道連れにしたらしく、楽譜は彼の遺体とともに焼失したと考えられています。

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ヒトラーに贈られたワーグナーの自筆譜

1939年、ドイツ商工会議所からヒトラー50歳の誕生日を記念して次の楽譜が贈られました。
『妖精』『恋愛禁制』『リエンツィ』『ラインの黄金』『ワルキューレ』。
さらに『ジークフリート』『神々の黄昏』のオーケストラパートのスケッチ。

もともとワーグナーがルートヴィヒ2世へ贈ったものですが、その後ドイツ商工会議所の所有となりました。
ヒトラーはワーグナーの息子ジークフリート・ワーグナーの妻にあたるヴィニフレートからこれらの楽譜がワーグナー自身の手によるものと聞かされ大いに喜んだと言われています。

ヒトラーの自殺とともに途絶えた楽譜のゆくえ

その後ヒトラーは『ニーベルングの指環』の楽譜を側近に鞄に入れて持ち歩かせ、まさに肌身離さずという表現だったらしいのですが、前述の通りヒトラーの死とともに自筆譜のゆくえが途絶えてしまいました。

ヒムラーやゲッベルスのような部下にしてみればベルリン陥落が迫った今、自分たちがやってきたことの後始末をどうするかということを考え、ヒトラーが中毒的なまでに愛したワーグナーの作品のあらすじに見立てて「英雄的な」死を迎えさせるという設定で終わらせてしまおうということを思いついたのかもしれません。
実際問題晩年のヒトラーは占い師の起用に加え覚醒剤を使用するなど、1944年の暗殺未遂事件以降は常軌を逸したものになってゆきます。ドン・キホーテのように現実と物語の境界線がだんだんあいまいになってゆき、かつては忠実だった部下たちが「もうこの男をなんとかしなくては」と考えたとしても不思議ではありません。

自分の遺体をガソリンで焼けという指示も、『神々の黄昏』の結末がブリュンヒルデが燃えさかる炎の中に飛び込み、その炎が神々の居城であるヴァルハラ城に燃え移って神話の時代が終わりを迎えるというものでしたので、このお話と重ねあわせてのことであればぴたりと符号します。

いずれにせよ、高い中毒性をもつワーグナーの音楽を記した楽譜が狂気の独裁者とともに燃え尽きてしまったとすれば大変な歴史の皮肉ではないでしょうか。

今日のワーグナー

ヒトラーとナチスが自らのプロパガンダのためにワーグナーを政治利用したことは確かです。
しかしながらさすがにワーグナーの作品の音楽性の高さから今でも(イスラエル以外の)世界中で演奏されていることは事実であり、日本でも新国立劇場で度々プログラムに登場しています。
また、東京・春・音楽祭でもワーグナーの作品が目玉として必ず取り上げられるなど、彼の作品の人気は衰えることがありません。

それは、ワーグナーが扱ったテーマが神話を背景に、愛と憎しみといった人間の普遍的な感情を扱っているからではないかと考えられます。
さらに、指揮者や演出家によってガラリと雰囲気が変わってしまうのも作品に奥行きがあるからこそ。
私自身は頻繁にワーグナーを聴いているというわけではありませんが、『ニーベルングの指環』や『トリスタンとイゾルデ』が無くなってしまったら大変な損失だと思うことは間違いないでしょう。

もし歴史のドキュメンタリー番組でナチズムという20世紀の悲劇が取り上げられることがありましたら、その陰にワーグナーという作曲家がいたことを歴史のサイドストーリーとして思い出してみてください。