キュッヒル真知子さんの著作『青い目のヴァイオリニストとの結婚』

この本はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の元コンサートマスター、ライナー・キュッヒル氏の奥さんがウィーンでの夫との暮らしを描いたもの。

さぞかし優雅な暮らしかと思いきや、実はそうではなかったようです・・・。

夫の職業の専門性ゆえに非常な苦労をされたようです・・・。

nichiyoudaiku



プロのヴァイオリニストになることの難しさ

まず最初に書いておかなくてはならないことがあります。

プロのヴァイオリニストになることの難しさです。
日本でプロのヴァイオリニストになろうとした場合は東京藝術大学または桐朋学園大学に入学することが登竜門となります。

東京藝術大学では普通、入試でパガニーニのヴァイオリン協奏曲を演奏することになりますが、高校3年の時点でこれを弾きこなすということは、逆算すると中学のころにはメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲あたりは弾けているべきで、となると小学生のなるべく低学年のうちにモーツァルトやヴィオッティのヴァイオリン協奏曲を仕上げているべきで・・・。

といった具合に、2~3歳くらいから毎日欠かさず何時間もの練習が必要となります。完全な英才教育です。
また、楽器代、レッスン代(一流の先生ほど当然高額になる)など諸費用を合算すると、「バイオリン奏者1人作るのにかかるのは、約5000万円」と読売日本交響楽団のヴァイオリン奏者・久保木隆文氏が試算されたことがあります。

ただし、東京藝術大学を出てもほとんどの卒業者の進路は「未定」。つまりプロになれていません。厳しい世界です。

ましてや世界を代表するオーケストラのコンサートマスターになるためにはどれほどの苦労をしなくてはならないか・・・。どれほどの犠牲を払わなくてはならないか・・・。

『青い目のヴァイオリニストとの結婚』はまさにそうした観点からも読める本となっています。


一芸に秀でる=音楽バカに徹することの難しさ

キュッヒル氏は若干20歳でウィーン・フィルのコンサートマスターに就任しました。
練習に徹する人生のあまり、同じ年代の仲間と遊ぶこともなく、つねにヴァイオリンと向き合う日々だったと妻キュッヒル真知子さんは語ります。
このため日常生活で必要なことの多くを一人で行うことができず、家族に頼る場面が多かったようです。

その数々とは・・・。

・ドライバーでネジが締められなかった。

・25歳まで金槌を持ったことがなかった。(オーストリアの学校では技術と図画を選ぶことになっており、キュッヒル氏は図画を履修したとのこと。)

・自分でネクタイを締められなかった。(妻にもそのことを黙っていた。)

・「手紙を郵便箱に投函してほしい」と頼まれたが、自宅の郵便箱に入れた。キュッヒル真知子さんが問いただすと「郵便箱って言ったからそこに入れた」。

・部屋のインテリアの感想を尋ねられると、「うん、住める」。

・素敵なデザインの椅子を買ったので感想を尋ねても「うん、座れる」。

・・・。これはすごい・・・。

念のために書いておきますが、ライナー・キュッヒル氏はウィーン・フィルのコンサートマスターとして長年にわたりこのオーケストラに務め、楽団の重鎮として大変な功績のあった方です。
親日家としても知られており、たびたび来日しています。

しかしこの重責を担うにあたり、人生の時間のほとんどを音楽に捧げなくてはならず、家族のサポートは必須だったようです。一芸に秀でることの難しさ、家族の理解の大切さがよくわかる事例だと言えるでしょう。

おわりに

『青い目のヴァイオリニストとの結婚』を読むと、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団という専門家の集団、まさに音楽バカ(もちろん良い意味で)のリーダーの横顔がよく説明されています。

キュッヒル真知子さんと姑の確執などもこの本には書かれていますが、キュッヒル氏は「君が歩んできた人生だら好きにしたら」。記載をただちに認めたようです。二人が強い絆で結ばれていることが伺われますね。

一芸に秀でるためには、その人の才能を十分に活かして日々真剣に努力しなくてはなりません。
しかし、それだけではなく周りからの支えがあってこそ、その芸が完成する――この本はそう納得できる一冊となっています。

青い目のヴァイオリニストとの結婚 (新潮文庫)