私が高校生のころから聴いている曲、リヒャルト・シュトラウスの『四つの最後の歌』。

この曲はシュトラウス(1864-1949)晩年に書かれたオーケストラの伴奏つきの歌曲集で、ソプラノ歌手によって歌われます。
4つのうち3曲はヘッセ、のこり1つはアイヒェンドルフの詩によるもの。

『ばらの騎士』『ナクソス島のアリアドネ』など様々な名オペラを手がけたシュトラウスが人生の終わりを意識して書いたこの歌曲集は人間くささが一切抜けきった、純粋極まりない仕上がりとなっています。

その歌を森麻季さんが歌うという情報を聞きつけ、私は2019年4月3日(土)に東京オペラシティで行われた東京シティ・フィルハーモニック(指揮:高関健さん)の定期演奏会へ出かけて行きました・・・。

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森麻季さんの『四つの最後の歌』、純粋かつ誇り高い歌声

森麻季さんの歌声は、NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』の主題歌「Stand Alone」を聴いているのでコンサート前からある程度想像がつきました。

おそらくレクサスのような安定感と格調をベースに誇りある歌声(エルガーの女性版とでも書けばいいのか)をホールに響かせるのでは・・・。

・・・果たしてそのとおりでした。

第1曲「春」はこう始まります。
うす暗い谷で
私は永く夢見ていた
あなたの木々と青い空を
あなたの匂いと鳥の歌を・・・
(注:原曲はドイツ語です。)

こう歌いはじめ、第二節「今あなたは私の前に輝き、華やかな装いで・・・」が始まると一気に春の太陽が昇ってきたかのような音色の変化・・・。変化は1秒でもこれは紛れもなくプロの技術!

この春はシュトラウスにとっては事実上最後の春でもありました。だからなのか、「春」は爛漫な光のきらめきとこの季節の生命力を歌い上げるだけでなく、深い諦念を伺わせるものとなっています。

新古今和歌集では
「またや見む 交野のみ野の桜狩り 花の雪散る春のあけぼの」(藤原俊成)
という歌が収められています。

この歌では藤原俊成が「交野(かたの)」に「難(かた)い」を掛けており、二度とこの光景を見ることはあるまいという深い断念と詠嘆を交えて桜の美しさを讃えていますが、自らの衰えを自覚しながら、かつ非ナチ化裁判の影響で事実上ドイツを追放され、困窮のさなかにありながら作曲にあたったシュトラウスが見た春の日射しも藤原俊成がかつて見た心象風景と同じだったのでしょうか?

第2曲「秋」では森麻季さんはシュトラウスの憂愁を、第3曲「眠りにつくとき」では深い瞑想を歌い上げていました。
第3曲の間奏でのソロ・ヴァイオリンの音色は(一見(聴)ここはムード音楽風に聴こえるが、楽譜を確認してみるとフラットが沢山ついていて非常に難しい。聴いている方は寝ていても許されるが演奏する方は必死である)夜=深い祈りと沈思の世界をさえ伺せる甘美なもの。

第4曲「夕映えの中で」。
この曲の詩ではさすらいの果てに二人の旅人が夕空を見ながら死を予感します。
森麻季さんの歌は、この旅人たちの人生が意味のある行程であったことを思わせる、確信に満ちた歌唱であったと思います。声を出すすべての瞬間において確かな音程、確かな発声が聴かれ、人生の終わりに旅人が見たのは「迷い」ではなく「確信」であった――。そう思えてなりませんでした。

おわりに

美しい曲でありながら、演奏頻度が高くはないリヒャルト・シュトラウスの『四つの最後の歌』。
私もこの前にコンサートホールで聴いたのは10年以上も前のこと。

今回改めて実演に接することができ、また大変な水準であったことは非常に嬉しいです。
また、後半プログラムで取り上げられたブルックナーの『交響曲第1番』もアンサンブルの充実しきった名演であったことを付け加えておきたいと思います。

このオーケストラで同じブルックナーの中期~後期の交響曲を演奏したらどのような仕上がりになっているのか・・・、今後にも注目していきたいと思います。


追記:森麻季さんは『四つの最後の歌』を録音していました。アマゾンの試聴音源からは、どのような歌唱かある程度想像いただけるかと思います。