3月26日は渡辺麻友さんの誕生日にあたります。
彼女をいたく応援する私としても、また1年季節が巡り、この日を祝うことができて非常に嬉しく思います。
昨年1年は様々なドラマ、ミュージカルへの出演など活動範囲を広げ、女優として大いに得るものがあったことでしょう。

この記事では、2019年3月までの出来事とこれから起こるであろう事柄について私なりに感じたこと、考えたことを述べさせて頂きたいと思います。

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スペシャルドラマ「紀州藩主 徳川吉宗」

2月にBS朝日で放映されたスペシャルドラマ「紀州藩主 徳川吉宗」。
これはBS放送だったために私は全編を見ることは叶いませんでしたが、インターネットで視聴した予告編やいくつかの場面ダイジェストなどで彼女の姿を確認することができました。

この作品では父と寺子屋を開くヒロイン、市役を演じていました。
台詞回しに若干の硬さが感じられはしたものの、子供たちに語りかけるときの柔らかな表情は、いつもの品のよさももちろんのこと、アイドル時代にはあまり見られなかったであろう子供たちへの優しげな眼差しもあり、彼女の女性としての変化を実感し、ある文章をふと思い出してしまいました。

私は何気ない挨拶をしたが、心はすっかりその姿、その声音、その挙止に奪われてしまった。

この一文はゲーテの『若きウェルテルの悩み』のウェルテルがロッテへ叶えられない思慕の情を募らせることになったきっかけとなる場面からの引用になります。
ある日舞踏会に招かれたウェルテルは、訪問先の館でロッテに出会います。
お腹を空かせた、まだ小さいきょうだいたちのためにパンを切り分けるロッテの姿に、何かしらの「女性らしさ」とでも言うのか、あるいは「母性」のようなものを感じ取ったのか、ウェルテルは彼女にたちまち惹かれたことが描かれています。

私が『若きウェルテルの悩み』を最初に読んだのは高校生のころ(もうかなり前のことです)でしたが、ドラマのワンシーンを見ていて唐突にこの場面がフラッシュバックしてしまったのは、その時に渡辺麻友さんが瞬間に見せた表情がやはりロッテ=普遍的な女性らしさに通じる「何か」を表現していたからではないか。自分ひとりが感じたことながら、そう思えてなりません。

その他、子供に剣術を教える吉宗を不安げな面持ちで眺める表情、赤穂浪士のことを持ち出されて激昂する様子、命など惜しくないと言い切る言葉の勢いなど、たまに見せる静的な中にも芯のある性格が感じられたのは、市という役を演じつつも、やはり渡辺麻友さん自身の人柄ゆえではなかったかと思います。

作中では「桜が好き」と語っていましたが、こうした物静かな役柄が似合うのはいわば「谷間の百合」といったところでしょうか。万人の目を引く大輪の花というよりも、その良さを認める人にだけ谷間でひっそりとその姿を明かす百合の花のように。

ただしそうは言っても芸能人である以上、視聴率などの数字と向き合わなくてはならないのがこの世界の厳しいところです。
今後どのような作品に巡り会い、どう魅力を今以上の多くの人に発信し、その結果どう評価されていくのか、私としても引き続き見守りたいと思います。

ニコ生での焼肉女子会について

AKB48に所属していた時の同僚であり、同僚という言葉を越えた絆で結ばれている3人での食事会の模様がネット番組で放送されていました。(私はタイムシフトで視聴。)

渡辺麻友さんは大の肉好きであり、一人焼肉にも行くことがあると山崎育三郎さんのラジオ番組で発言がありました。
大好きな肉を食べながら他愛のない話にくつろぎの表情を見せる彼女を見ていると、私としても心が休まりました。

番組ではNHKの朝ドラ『なつぞら』の撮影中であることが明かされました。指原莉乃さんから「他の共演している人とうまくやれてる?」と質問があったのは、何気ない発言でありながらも彼女の個性のコアな部分に触れるものであり、非常に興味をそそられました。

ミュージカル『アメリ』のパンフレットなど、様々な場所にも書いてあるように渡辺麻友さんはあまり人と積極的に交わろうとしない性格でもあります。私自身もこのブログに「友だちいない研究所」などの無茶苦茶な題名を付けている(後の祭り)ほど集団行動が苦手ので、この性格は大いに共感しています。
(ご参考までに、メンタリストのDaiGoさんは「友だちが多いと不幸を感じる性格の人もいる。何かを目指してチャレンジしたがる性格の人は、目標達成と関わりのない人間関係の維持などにリソースを費やしてしまうのを嫌がる傾向がある」とブログで述べています。ご参考までに、本記事の末尾にURLを記載します。)

実際問題、彼女はツイッターやブログ記事の更新頻度がそれほど多いわけではなく、また積極的な情報発信を自ら行うことにある種の抵抗感があるようです。この点でもやはり「谷間の百合」という言葉が似合うかと思います。
たしかに王道アイドルや清純派といった看板を背負い、またファンを始めとする社会からの様々な期待を理解しているであろう彼女にしてみれば、その言動は自ずから保守的、模範的なものにならざるを得ません。

「真面目な人が損をするのがAKB」という彼女の発言が波紋を呼んだことがありましたが、かといって誰かをはっきりと批判することはありませんでした。彼女は言葉ではなく行為そのもので自らの価値観を形あるものにしていく――それが近道を企てる人への最大の皮肉にもなる――タイプなのでしょうか。(こういう点でも彼女はストイックなのでしょう。)

アイドル時代にも、またこの日の焼肉でも柏木由紀さんや指原莉乃さんが彼女の良い面を引き出していたように、これからも彼女の良さを積極的に伝える人が現れてくれれば・・・。
この観点から言えば、アイドルを卒業してから1年3ヶ月、何を感じ、日々どう生きているのかを優秀なインタビュアーがじっくりと聞き出したフォトエッセイなどが出版されれば素晴らしい出来栄えになるのではないでしょうか。無論これは一方的な期待に過ぎませんが・・・。

社会からの信頼の大切さ

私は以前、彼女の最大の資産は「信頼」であると述べたことがあります。
世の中にはアイドルという職業を指して低く見る向きもあります。
しかし私なりに申し上げれば、「たかがアイドル」であっても、その「たかが」に11年にも及ぶ年月をかけて真摯に向き合い、ファンと信頼を積み重ねてきた姿が美しいと思います。

多くの人が彼女の姿に価値ありと認めた結果、渡辺麻友さんは「ストイック」「王道アイドル」という評価を勝ち得て、信頼を積み重ねていきました。

最近では彼女の個性を大いに磨くことになったAKB48の姉妹グループで大変なスキャンダルがありましたが、一連の様子を見るうちに、やはり目に見えない「信頼」が極めて大切であるという実感を新たにしました。

「信頼」という言葉についてひとつ述懐をさせていただくならば、もう1年半も前にもなりますが、彼女の卒業コンサートのことを述べないわけにはいきません。これには私も(仕事でムリをして強引に)駆けつけ、会場が青い光で埋め尽くされた光景を今も鮮明に覚えています。
第一曲めのオーケストラの序奏を耳にした瞬間、私はこれから始まるであろう数秒後の光景を思い浮かべて身震いしました。

ところが常に完璧を目指していたはずの彼女も、このときばかりは声が震えていました。

彼女はかつてアイドルサイボーグと呼ばれていました。

ロボットに心はないはずでした。

泣かないはずでした。

しかし当夜の第一曲「初日」では彼女の歌声は涙に消えました。

これは、眼の前に広がった光景を目にした彼女がファンとの絆の強さ、つまり舞台に立つ人、支える側、相互の深い信頼を感じ取った瞬間に違いなく、だからこその涙であるように思えるのです。

たとえそれが「音楽」それ自体としては歌い損なってしまったという欠点があったにせよ、私としてはこの出来事をもって音楽=音符という素材を用いてのメッセージ伝達の一つの到達点と位置づけたいと思います。音を発した瞬間に空気中に儚く消えていく音楽は時間芸術であり、巻き戻すことも訂正することもできません。心がこもりきった、彼女の11年の歩みを私達の心に刻みつけるかのような一期一会の音が発された、二度と戻らない瞬間に立ち会うことができて非常に嬉しく思います。

渡辺麻友さんが「初日」を歌うことで伝えたかったであろう思いは、無論ファンと彼女との信頼関係があり、一度限りのコンサートだということが前提となるもの。その点でも貴重な体験でした。

下記の動画での「夢は 汗の中に」と歌うときの思い入れの強さは、歌詞の内容と相まって、音楽が人間の様々な感情を表現する手段であるということを示す素晴らしい例だと思います。声量や音程の話を抜きにしてこのような真剣な声色はめったに聴けるものではありません。私自身も(まれにステージで)演奏する側のはしくれながら、断言します。




余計なことながら、逆にただ上手いだけで内容のない、豪華でありながらも空しい音楽を私は様々なコンサートホールで聴いてきました。高度成長期の日本において、外国から招いた客演指揮者の指示に技術の不足をものともせず必死に食らいついたオーケストラが素晴らしい演奏を残したように、音楽家が伝えようとするメッセージの強さは技術とは必ずしも相関しないようです。

なお、とある事情によりこの日のコンサート会場に来ることができなかった、あるファンのために会場前方に特別席が設けられたとも聞いています。
コンサートの収益性を考えれば単なる損失でしかないはずの行為が、敬意とともになされた――、このことはCDの売上や視聴率の増減よりももっと大きな「何か」を彼女が背負っていることの証ではなかったでしょうか。
(蛇足ながら、こうした人間的な配慮がなされたことと、一連の姉妹グループでのスキャンダル対応が同じ組織で併存していることに私は首をかしげます。「真面目な人が損をするのがAKB」という言葉を組織的に実現してしまい、ばかりか真剣に活動を行っているはずの人までもが貶められている現状を悲しく思います。)

新しい春のおとずれと、『なつぞら』への期待

4月には『なつぞら』の放送が始まり、新元号も公表となります。新しい時代が始まろうとしています。来年には東京でオリンピックが開催され、私はそこに向けての様々な変化を日々実感しています。

この新しい春のおとずれを一日一日と噛み締めつつ、また渡辺麻友さんの女優業の一層の充実を祈りつつ、本記事を結びたく思います。これから彼女がこれまでの積み重ねを活かし、今後どういった関係を私達ファンと作っていくのか、引き続きしっかりと見届けたいと思います。

併せて、渡辺麻友さんを見守り、またこのような私的な(贔屓の引き倒しに近い、しかも長い)感想をお読み下さいました皆様のますますのご発展もお祈り申し上げます。


<ご参考>
文中でご紹介しましたDaiGoさんのブログ記事はこちらです。