古代ローマ帝政期に『風刺詩』を書いたユウェナリス。
彼が残した言葉「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」。この言葉は誤って使われているようです。

つまりユウェナリスは「体が丈夫なら、心も健全になるぞ」と言いたかったわけではないようなのです・・・。

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「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」。実際にはどう使われている言葉?

この言葉は『風刺詩』の第10歌「人間の願望の空しさ」に掲載されています。

第10歌では「財産が殖えますように」などといったローマ人がいかにも願いそうなことを一つ一つ列挙し、その全てが結局は叶えられないということが述べられています。

そして最後にユウェナリスは「こうなると人間が神に祈願するものは何もないのか」と問いかけたうえで次のように締めくくっています。

それでもあなたが、神々に何かをお願いしたいのならば、そして小さなお社に、純白に輝く豚の内臓と小さな腸詰をお供えしたいのなら、どうか、健全な身体に健全な精神を与え給えと祈るがいい。死の恐怖を断つ強靭な精神を祈願し給え。生涯の最後を自然の恩恵とみなすような精神を。いかなる苦しみにも耐えられる精神を。怒りを知らぬ、無欲恬淡な精神を。

(中略)酒池肉林、奢侈栄華よりも、ヘーラクレースの艱難辛苦や奮励努力こそ、いっそう望ましいものと信じるような精神を祈願し給え。

私があなたにすすめるものは、あなた自身が自分の力で自分に与えることのできるものである。泰然自若として生きる唯一の道は、疑いもなく徳によって開かれる。運命の女神(フォルトゥーナ)よ、もし我々人間に叡智があるならば、あなたはいかなる神通力も発揮できないのだ。

ユウェナリスはこのように第10歌「人間の願望の空しさ」を締めくくりました。

ここでは単なる願望が無力であることを述べ、人生を切り開くのは徳であると結論づけています。

自分で確かめることは大切でした

このように実際に『風刺詩集』を読んでみると、単に「体が丈夫であれば心も健全になる」と述べているわけではないことがわかります。

名言は一人歩きし、時には間違った意味で使われることもあります。

私は『ローマ風刺詩集』を実際に読んでみることで、どのような意味で使われているかを初めて知ることができました。
やはり何事も自分の目で確かめることは大事だと思いました。


参考文献: