美術館に行くと必ず見かける宗教画。

ありがちなのが、「イエスの処刑」、「イエスの誕生」、「イエスの祈り」、「ノーと言える日本」・・・ん?

さて一連の「イエスの何々」の中でも比較的ポピュラーなのはヨハネと一緒に描かれている「イエスの洗礼」。

でもどっちがイエスでどっちがヨハネ??

簡単な見分け方があります。


絵画に描かれたイエスとヨハネ。どっちがイエスでどっちがヨハネ?見分け方は簡単


以前、私はこのようなツイートをしたことがあります。
ツイッターでは140文字という制限があるため、ここで補足したいと思います。

一般的に、神話の世界では横に広がるもの=女性原理であり、上下に広がるもの=男性原理とされています。
つまり十字架には男女の原理の組み合わせの意味もあります。

ヨハネが持っている十字架は縦に長いですが、旧約聖書的価値観(男性原理による価値観が支配的)を代表していることの現れとなっています。

新約聖書ではイエスの生涯が4つの福音書によって記述されていますが、彼が説いた教えは旧約聖書よりも赦しや慈愛に満ちたもの。つまり女性的な原理が色濃く見られます。
(上記の絵画はヴェロッキオによる『キリストの洗礼』です。)

ちなみに、真ん中に聖母マリア、左右にイエスとヨハネが描かれた絵画もあります。
これは二人に共通の血が流れているマリアを中心に配置することで、旧約(ヨハネ)の教えが新約(イエス)にバトンタッチすることを意味しています。

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(ラファエロ『美しき女庭師』。またの名を『聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ』)

「愛」に見る旧約聖書と新約聖書の価値観の違い

旧約聖書の愛はあくまでも隣人に限られていました。自分を愛してくれる者だけに愛を注ぐという自己完結的なもので、しばしばイエスはそうした姿勢を批判していました。

新約聖書の愛は「汝の敵を愛せ」。たとえ自分が愛されることがなくても、なお愛せというもの。
対象が限定されていない無償性・開放性に特徴があります。

このように新しい価値観をもったイエスは、当時の保守層(パリサイ人)から疎んじられたのもまた当然と言えるでしょう。

因習や前例を踏襲するだけならたしかにその時は平穏にやり過ごすことができます。
反面、人生が同じことの堂々巡りになり、やがて伝統が形骸化し、制度疲労が生まれ、ひいては人を束縛することになります。

こう考えると、発想の転換を説いたイエスの誕生は当時の社会にあってまさに必然だったと言えるでしょう。
そして、新しい思想を提唱したがゆえにイエスが為政者に憎まれ、処刑されたのも(ちょうど坂本龍馬が暗殺されたのにも似て)やはり彼の運命だったと言わざるを得ません。

おわりに

この記事では西洋絵画におけるイエスとヨハネの違いについてまとめました。
西洋絵画では様々な「謎解き」をすることに醍醐味があります。
たとえば、なぜ女性と一緒に果物が描かれているんだろう・・・、そもそもその果物って、やけに丸いものが選ばれがちだけど、どうしてだろうとか・・・。

美術館に足を運ばれました際には、ぜひそうした推理も楽しんで頂ければと思います。


*この本は絶版になっていましたが、スマホでも読める電子書籍・Kindle化されたようです。