最近では礼儀2.0という言葉をよく聞くようになりました。

対義語として礼儀1.0という概念があり、まさに21世紀の礼儀対20世紀の礼儀といったところでしょうか。

自分なりに整理してみたところ、礼儀2.0とは「相手の時間を節約してあげること」が要点になっているようです。

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礼儀2.0で相手の時間を節約

かつての礼儀=礼儀1.0をまとめると、
・相手を重んじる

・どんな風に重んじるのかというと、自分が時間や労力を使うことで、相手が重要だという態度を示す

・例えば「(たいした用事でなくても)わざわざ会いに行く」「勧められるまでお茶は飲まない」「ビールを注ぐときはラベルを上にして」「名刺交換のとき、自分の名刺は相手の名刺よりも下にする」

になるようです。時間や労力を使ってますよ、それだけあなたが大切なんですよと態度で示すことを重んじている様子が伺われます。
(正直、ビールの味は変わらないのになぜラベルが下だといけないのか・・・? たぶん日本人だけでしょう、こんなことにこだわるのは・・・。)


一方で昨今の礼儀=礼儀2.0を短くまとめると、こうなるようです。
・相手の時間を奪わないことが大切

・例えば会議や電話など時間がかかるものはITの活用などで省力化。顔を合わせて打ち合わせしなくてもメールやチャットで済むならそれでよい

・飲み会も(拘束時間が長いわりにはそれほど面白くないので)1次会で終了

・相手に説明させる(時間を使わせる)ことのないよう、会議中でも分からない言葉が出てくればスマホで検索


今、なぜ礼儀2.0か

時代の変化と言ってしまえば単純ですが、背景は概ね次のようです。

・IT化の進展などで社会全体として効率化、スピード化が求められるようになった

・時間こそが希少資源だという認識が浸透しつつある

・にもかかわらず昭和の礼儀に時間を取られ、正直うざい

・そもそもダイバーシティ推進の名の下に多様な働き方が推奨される今、「わざわざ会いに行く」を求めたのではテレワークが普及せず、「飲み会でダラダラ時間を使う」では育児や介護が成り立たなくなり、「年功序列を重んじる」ではせっかく採用した優秀な外国人は逃げ出し・・・、となってしまうでしょう。

思うに、礼儀1.0が形式重視であるなら、礼儀2.0は本質重視になるかと思います。


私は礼儀2.0を進める立場でありたい

正直、私自身も日々働く中でお金よりも時間のほうがはるかに貴重だと思うようになりました。
社会人になりたてのころ、セネカの『人生の短さについて』という本を読み非常に衝撃を受けました。

人生が短いのではなく、実はその多くを浪費しているのである。
人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられているのだ。

王者のごとき財産でも悪い持ち主が所有したときはまたたく間に消滅してしまう。
しかし並の財産でも管理者が賢明であれば、使い方によって増加する。
同じように、我々の一生も上手に配分する人には著しく広がるものだ。

セネカはこう書き残しています。

この本はおよそ2000年前、古代ローマ帝国で書かれていますが、なんと「礼儀2.0」に通じる内容であることでしょうか。

礼儀2.0という言葉を知り、真っ先に思い出したのはセネカの『人生の短さについて』でした。

私自身も古い考え方に振り回されず、礼儀2.0を進める立場でありたい――。そう考えています。