2018年11月25日、東京・上野の東京文化会館小ホールで行われたヴァイオリニスト・安永徹さんのブラームス・ピアノとヴァイオリンのためのソナタ全3曲演奏会。

私も足を運び、円熟の音楽を堪能しました。今日はこのことについて書いてみたいと思います。

安永徹さんの経歴

まずは安永徹さんの経歴についておさらいしておきます。1951年福岡県出身。江藤俊哉さんに師事し桐朋学園大学に在学中に日本音楽コンクールで1位を受賞しています。
日本音楽コンクールでは、先日記事にしました荒井里桜さんも1位を受賞していますから、同じコンクールの大先輩ということになります。

1983年にはカラヤン時代のベルリン・フィルで第1コンサートマスターに就任しています。2009年にベルリン・フィルを退団し、以後北海道を拠点に活動を続けています。
奥様はピアニストの市野あゆみさんで、この日のコンサートでも共演していました。

DSCN3241

安永徹さんの円熟のブラームス

プログラムはブラームスの『ヴァイオリン・ソナタ』を1番、2番、3番と作曲順に並べたもの。

第1番のソナタが始まってまず感じたのは、「テンポが重い!」
思索的というのか内省的というのか、第1番のソナタは歌謡的な作風でありながら、安永さんの演奏は横にスラスラと流れることを拒み、代わりに縦の線つまりピアニストと作り出す和声を楽しんでいるのか、どことなく足踏みしているような雰囲気に溢れていました。

感情に流されることなく、和音ひとつひとつを積み上げていく――その様子は子音の発音が強いドイツ語の響きや、まさにそのドイツの黒い森を思わせるような様子がありました。
この響きは、長いベルリン・フィル時代に培われたものでしょうか?

こういうタイプの演奏ですから、1番よりも2番、2番よりも3番とプログラムが進むに従って晩年の曲になるにつれて「ブラームスらしさ」を増していきました。

なかなか流れていかない1番にやや違和感を覚えつつも、休憩をはさんでの3番はまさに安永徹さんのスタイルと曲想がマッチしていました。
思えば『ヴァイオリン・ソナタ第3番』は、ブラームスが親友の訃報に接し孤独感に苛まれていたころの音楽であり、若い頃にはたどり着くことのない心境の中で作曲された作品です。

安永徹さんのヴァイオリンからはブラームスがそうあってほしいと願ったであろう重厚感、諦観、孤独感――つまり人生の苦い面が表現されており、保守本流のブラームスともいえる音楽が響いていました。

先週羽村市で聴いた荒井里桜さんのブラームスの『ヴァイオリン協奏曲』をボジョレー・ヌーボーだとするなら、こちら安永徹さんのブラームスは完熟のカベルネやメルロー。
安永徹さんの演奏を聴くのはこれが初めてですが、こういう重量級のブラームスを耳にすることができたのは嬉しいことです。

安永徹さんのキャリア面での全盛期はベルリン・フィル時代にあったのかもしれませんし、加齢とともに技巧が衰えてくるのは人間である以上やむを得ないことですが、日本のヴァイオリニストの系譜を彩る貴重な経歴をお持ちの方ですから、まだまだ何かしらの業績をあげてくださることを期待するのは勝手が過ぎるでしょうか・・・。

音楽家に定年はありませんので、なお一日、なお一舞台をと時間を惜しんで練習に励むことで培われた円熟の味わいもまた捨てがたく、クラシック音楽のような流行り廃りのないジャンルの音楽を聴く醍醐味はこうした辺りにあるとも言えます。

活動拠点が北海道とのことで、東京で演奏会を開催することも限られるかと想いますが、これからも機会があればぜひコンサートホールに足を運びたいと思いました。