昨日の記事「高橋大輔選手、足が震える件に共感。メンタル管理の難しさ。」では2018年10月7日、高橋大輔選手が兵庫県尼崎市で開催された近畿選手権に出場したことについて触れ、メンタル管理の難しさについて考えました。

引き続き、高橋選手は2018年10月8日の近畿選手権フリーでは118.54点をマーク。合計195.82点で3位となったことが報じられています。

彼は、ミスが目立った演技について反省するところが大いにあったようで、「やばい」という実感だったそうです。しかし、人は失敗を糧に成長することができるもの。

今日はこのことについて考えてみたいと思います。

ice_skate_kaiten


高橋大輔選手、ミスに「やばい」

試合後の一問一答で、高橋選手は次のように答えています。
――4年ぶりの実戦復帰となった試合を終えて。

 「ショートのときよりフリーは身体が動いたが、緊張感からなのか、ほとんどミスしてしまった。その中でも学ぶことがたくさんあったので、それを次に活かしたい」

――フリーの演技終了後には「ヤバッ」という反応があった。

 「練習でもここまでボロボロだったのはなかったので、ビックリした。初戦でも、もうちょっと後半はもう少しまとめられたところもまとめられなかった。いまの実力があらわれたので、素直に“ヤバいな”と」

――たくさんのファンが一挙手一投足に注目していた。

 「なんか申し訳ないですね。ショートはある程度まとめられたが、フリーは人生の中でここまでボロボロだったのはなかったんじゃないかと思うくらいだったので。そんな姿を見せてしまって申し訳ないなと思いますが、これが最低でここから上がっていくので、また今度の試合を楽しみにしてくれたら」
(出典:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181008-00000123-spnannex-spo)

こうした感情は、私自身にも身に覚えのあることです。私はアマチュアではありますがヴァイオリンを弾きますので、本番を迎えて一人で舞台に立つと大変な緊張に襲われます。

昨日の記事では、私は「本番で舞台に立つとき、スポットライトを一人で浴びて人の目線を感じると孤独感に襲われます。と同時に右手が震えて弓もブルブル震え、音がかすれたり、足もいつの間にかガクガクしたりします」と書きました。

先日もある催しでグラズノフ(というロシアの作曲家)の作品を演奏しましたが、本当に右手が震えて弓が弦の上でバウンドしてしまい、練習しているときにはありえないようなかすれた音を出してしまいました。
まさに「練習でもここまでボロボロだったのはなかったので、ビックリし」ました。

昨日の記事ではヴァイオリニスト、千住真理子氏の著作から「緊張すること」について触れました。
同じ音楽関連では、指揮者、シャルル・ミュンシュ(小澤征爾氏の師匠の一人)が指揮者が感じる本番前の緊張について『指揮者という仕事』でこう書いています。
あなたは戦闘の中心である台上にのっかっているのだ、ちょうど飛んでくる矢にさらされた聖セバスチアンのように、いままさに火あぶりになって自らの命をおのが愛するものの代りに与えんとする火刑台上のジャンヌ・ダルクのように。四十年の場数をふんだあとでも、あなたが依然としてこの瞬間に、喉元を襲う気後れ、高潮のように高まる突然の恐怖を感じるなら、コンサートのたびごとに心を昂ぶらせ、びくびくするあの不安を前より少し強く感じるなら、それは、絶えずあなたが向上しており、絶えず自分の使命を前よりも少々よく理解しているからである。
ミュンシュは弟子・小澤征爾氏に「体の力を抜け、腕の力も全部抜け」と伝授していました。
小澤征爾氏はそのミュンシュの指揮姿を見て「力みがないのにオーケストラをうまく従えている」と評しています。

そのミュンシュでさえ、この著作から伺われるように本番では緊張に襲われていたようです。

高橋選手はどうでしょうか。彼がミスを連発してしまったのも、「自分の使命を前よりも少々よく理解しているから」ではないか――。そう思えてなりません。

彼には、引退して終わりという選択肢もありました。
しかしあえて現役復活を選んだとき、前のような感覚を取り戻すことは難しいだろうと理解していたはずです。
にもかかわらずもう一度戻ってきたわけですから、それだけでも称賛に値するすることです。

フィギュアスケートにおける感動とは

唐突な述懐になりますが、もう一度スケートをと復帰を選んだ高橋選手の姿に、私はなぜか大怪我の身にもかかわらず無理をして出撃したウルトラセブンや、あえてウルトラマンタロウに変身しないで人間の姿のまま東京を守った東光太郎の姿を思い出してしまいます。(昭和の特撮ものを持ち出したあたりに年齢が出てしまいます。)

これらはいずれも最終回のエピソードになりますが、なぜ制作陣が最終回にヒーローのこういう姿を見せたのか・・・。そこには視聴者に伝えたい何らかの「メッセージ」があったはず・・・。

このようなブログを含めて、このシリーズが今なお何らかの形で語られるのは、作品に込められた力強い「メッセージ」が、多くの人に感動をもたらすからなのでしょう。

さて、上記インタビューではミスが多いことに反省の弁を述べている高橋選手。
しかしヤフーニュースのコメント欄では、彼を称える声が多く見られました。(普段はクレームのような投稿が多いコメント欄ですが・・・。)

それはなぜか? と考えた時に、やはり高橋選手のミスをしてしまったとしても次につなげようとする姿勢や、諦めずにもう一度戻ってきたことについて、何らかのメッセージを多くの人が感じているからではないでしょうか。
(そのメッセージは、言葉にしづらいもの、いちいち言葉に置き換えなくてもよいものだと思います。私もあえて書かないでおこうと思います。)

もちろん高橋選手はフィギュアスケートの選手ですから、伝えたいことがあれば演技でそれを表現するはずです。
フィギュアスケートは言うまでもなく技術だけでなく芸術性も評価されるもの。
単に上手い下手を越えた部分でも感動が生まれることもあります。
(例えばバンクーバーオリンピックでは、4回転ジャンプに挑んだ彼はプルシェンコに“You are my hero.”と讃えられています。あえて高いハードルに挑戦することを「美しい」と言わずして何と言うのでしょうか。

高橋選手本人は反省点しきりだと思いますが、今回のミスを振り返り、次回以降のさらなる飛躍につなげて頂きたいと思いました。


注:私は高橋選手と同郷なのでどうしても好意的な書き方になっています。その点、あしからずご了承ください。