2018年8月4日からフジテレビ系列で放送中の渡辺麻友主演ドラマ「いつかこの雨がやむ日まで」。
物語もいよいよ佳境に入りました。引き続き、主観ばかりですが第7話について気づいたことを書いていきます。

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(ひかりの演技は凄みを増してゆく・・・。画像:FODよりキャプチャ。以下同)


ただ憧れを知る者だけが

第7話では前回に引き続き、天竺とひかりの関係性が「芸術」といういわば二人にとっての「扇の要」をめがけて表現を突き詰める、表現者としての執念に焦点が当てられていたようでした。

ドラマの公式サイトでは狂気という言葉が使われていますが、舞台に立つ人たちは常に新しい表現を求めてやまないものです。そこに常人ならざる何かが宿ったとしても、天竺やひかりのような舞台人にとってみれば芸術の神から遣わされた貴重なインスピレーション。

彼らのような人物が新しい表現を開拓し、芸術の世界がアップデートされていくわけです。
死期を悟ったモーツァルトは、命を削りながら絶筆となった「レクイエム」の完成を急ぎ、志半ばにして倒れました。ゴッホも芸術のあるべき姿を追い求めて南仏アルルに移住しますが、理想と現実の差を埋められず、精神を蝕まれながら絵筆を振るいました。こうした自分に鞭打って使命に向き合う姿勢は私たちの常識を越えたものがあります。

ゲーテの有名な詩に「ただ憧れを知る者だけが」という作品があります。
ただ憧れを知る者だけが
わたしの苦しみを知る。
ただひとり
すべての喜びから切り離されて・・・
こうしたこの世ならざる「何か」に憧れ、求めてやまない人種――、それが表現者と呼ばれる人たちなのでしょう。
ミュージカル「オペラ座の怪人」でも闇の世界の住人・ファントムが本人に気づかれぬように歌姫クリスティーヌに歌心を授けていたという設定になっていました。もしかしたら言動の一つ一つに翳りのある天竺と、生活が苦しくても舞台に立つことを求めてやまないひかりの関係は「オペラ座の怪人」も参考にしたのでしょうか。

「天竺にとりつかれた人は皆同じ道を辿る」。行きつく果ては死。こちらも有名な作品ですがミュージカル「エリザベート」ではハプスブルク家の王妃エリザベートが死の擬人化である「トート」(ドイツ語で「死」)に導かれて、自由を求めるあまり死に憧れる姿が描かれています。

「ジュリエットを演じていることが生きている証」。「お前の15年間の闇は神様からのプレゼントだ。輝かしい光のように人々を魅了することができる漆黒の闇だ。どこまでも深く堕ちてゆけ」。「残酷なのは俺じゃない。芸術だ」。こうした言葉で語り合う天竺やひかりを見ていると、美しさは不幸の隣人であることを示唆しているようです。


私たちの暮らしとの乖離

「どんどん俺の知らないひかりになっていく」。和也はひかりの変貌を見て衝撃を隠せません。それもそのはず。婚約者・沙耶の作ったオムライスを食べて微笑む和也。ここに描かれているのは普通の人々の暮らしであり、私たちの幸せの形の典型でもあります。

一流の板前として父から託された店の伝統を受け継ぎたい。父への深い尊敬が和也の言動から伝わってきます。その彼にとって「家族を捨てたい」とつぶやくひかりの言動は釈然としないものがあったはず。

「沙耶と結婚するんだ。もうひかりを守ることはできない」。

「やまないね、雨」。

短いやり取りですが、わずか10秒程度の会話に第7話のエッセンスが凝縮されていると言えるでしょう。

私たちの日々の暮らしと、業を背負って舞台に立つべき定めの人の埋めがたい溝。
この溝が第6話あたりから劇的緊張感を生み出しているように思えてなりません。
第8話は「慟哭の結末」となっているようです。果たして物語の行く末は――?

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(重なり合うはずだった思いは――)

「いつかこの雨がやむ日まで」について記事を書くことについて

以下はドラマの内容と何の関係もありません。単なる備忘録に過ぎません。
ただ、ドラマが終わりに近づいた今(2018年9月)、「いつかこの雨がやむ日まで」をブログ記事としている理由について書き留めておきたいと思います。

個人的な述懐になりますが、私は数年前、とある奨学基金財団の事務局を運営していたことがあります。
この財団は、戦後間もなくの時代に活躍したある人物を記念し、国際社会で活躍したいと願う前途有為な学生に対して返済不要の奨学金を給付することが設置の主な目的でした。

理事・評議員もある私立大学長経験者を始めとして、社会的に大きな業績をあげた方をお迎えしていました。(理事・評議員・監事ともに無報酬。役員会に出席するための交通費すら出ない完全に手弁当の財団でした。)

その財団の理事の一人で、国連での軍縮会議についての経験をお持ちの、元外交官の方がある日こういう話をしていました。
「日本外交の特徴として、他の国々と同じ意見のときは日本も声を張り上げて主張する。
ところが自分の立場が少数派だと悟ると、たちまち口を閉ざす。そんな残念な傾向がある。
本来なら、少数派でも粘り強く自分たちの意見を発信することで同調者を増やしていく努力をすべきなのに、日本はそれをしない」。

少数派であっても粘り強く意見を発信し、共感してくれる人を増やす。これはまさしく、かつてキング牧師が行ったことではないでしょうか。

私も「いつかこの雨がやむ日まで」がゴールデンタイムに放送される大ヒット番組であればわざわざブログ記事に感想を書くことはなかったでしょう。

毎回毎回、ドラマについて記事にしているのは、渡辺麻友の性格に共感するところがあるというのが大きな理由です。
しかしその他にも、ともすれば見落とされがちな深夜ドラマという枠で、女優としての個性を発揮しつつある渡辺麻友の存在について語りたかった。

それがこのドラマについて毎週記事にしている理由です。

19世紀のフランスの小説家・スタンダールは「赤と黒」「パルムの僧院」といった小説の末尾にTo the Happy Few(幸福なる少数者へ)という献辞を掲げています。

彼の小説は同時代には見向きもされず、読まれませんでした。彼はそんな状況でも創作活動を続けますが、あまりの反応の乏しさに失望感に苛まれることもあったそうです。小説は完成したものの、果たして誰が読むのだろう。いや、たとえ読んでくれる人が少なくても、この本を理解してくれる方へ、作品を捧げたい。いつか歴史から正当な評価が与えられることを願って――献辞はいつか現れる読者たちに共感の輪が広がることを思い描いてそう言っているかのようです。

事実、スタンダールの作品は今ではバルザックやユゴーと並んで19世紀のフランス小説を代表する扱いを受けています。

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(スタンダール。画像:ウィキペディアより)

To the Happy Fewはスタンダールのオリジナルではなく、シェイクスピアの「ヘンリー五世」のとある演説が出典となっています。
イングランド王ヘンリー五世はフランスとの百年戦争のアジャンクールの戦いでフランス軍主力を壊滅させた名君としてその名を今に残しています。

アジャンクールの戦いは、本来であればフランス軍が圧倒的に有利でした。
劣勢の軍を率いるイングランド王ヘンリー五世は兵士を鼓舞して、最後の一兵まで戦おうと語りかけます。
We few, we happy few, we band of brothers;
For he to-day that sheds his blood with me
Shall be my brother.
(数では劣るかもしれない。だが我々幸福なる少数は兄弟の絆で結ばれている。なぜなら、今日ともに血を流した者は誰もが私の兄弟となるからだ。)
ヘンリー五世の演説を聞いた兵士たちは奮い立ち、フランス軍を敗走させました。
こうして百年戦争の趨勢はイングランド側に有利になったのです。

「いつかこの雨がやむ日まで」も深夜ドラマという性質上、広く注目を集めにくい作品といえるでしょう。明るい気分になれるテーマを扱っているわけでもありません。最終回も予告編を見る限り悲しい事件がまた起きるらしいので、失った過去が取り戻されるような幸せな結末を想像しがたい。

しかしながら、渡辺麻友という女優の個性、将来性を感じ取って応援し、彼女が登板する作品に注目している人は確実にいます。そうした方たち(fewではなくmanyだと思いますが)とともに彼女を応援することができれば・・・。そう思ってブログ記事にしています。

最終回まであと1話となりました。引き続き物語を注視していきます。


関連記事:
渡辺麻友主演「いつかこの雨がやむ日まで」闇深い第1話の感想。
渡辺麻友主演ドラマ「いつかこの雨がやむ日まで」第2話の感想

注:本作品は【フジテレビオンデマンド】 でも配信されています。登録すると1ヶ月無料とのこと。