2018年7月から9月に延期されていたイヴリー・ギトリスの来日公演がなんと中止になってしまいました。

主催者経由で次のようなメッセージが送られてきました。

ギトリスからのメッセージ
My Doctor doesn’t allow me yet to fly long journeys. So I cannot come for the concerts in September. I am very sad. I send you the doctor’s certificate.
I hope I can visit and see you again.

All best wishes.
Ivry Gitlis

医師からは長時間のフライトを伴う旅行の許可を得られず、9月の公演に伺うことが出来なくなりました。医師の診断書を送ります。たいへん残念です。また来日し、皆様にお目にかかりたいと思っております。

2018年9月5日
イヴリ―・ギトリス

ギトリスは1922年生まれ。つまり96歳の現役(!)ヴァイオリニスト。
その彼にしてみれば、活動拠点であるパリから日本に来ることだけで大変な負担でしょう。
招聘元である音楽事務所、テンポプリモのHPには医者の診断書がアップロードされていました。
「直近の体調悪化により、次の診断まで当面飛行機に乗れる状態でない」。そう書かれています。
(出典:http://www.tempoprimo.co.jp/)

かつて指揮者、ジョージ・セルやレナード・バーンスタインが晩年に来日公演を行ったことで寿命を縮めたのではという説が囁かれました。
そのせいなのか、高齢を押して来日しようとした指揮者、ギュンター・ヴァントに対して日本の評論家が来日反対運動を起こしたことがあります。
このときは結局2000年秋に来日公演が実現し、ヴァントは北ドイツ放送交響楽団とともに素晴らしいシューベルトとブルックナーの演奏を東京オペラシティコンサートホールで披露しました。

今回、ギトリスの演奏を聴くことができなくなってしまったのは残念でなりません。

代わりに彼の著作「魂と弦」を改めて読み直して、彼の再度の来日を待ちたいと思います。

イヴリー・ギトリス「魂と弦」から

ギトリスは大変な親日家として知られており、2011年の東日本大震災と原発事故で多くの外国人演奏家が日本を後にする中、日本人を力づけようと被災地にまで足を運んでくれたことがあります。
津波で打ち上げられた流木から製作したヴァイオリンを演奏している動画もYouTubeにアップロードされています。



「魂と弦」の冒頭には「ギトリスからのメッセージ」として次のような言葉が掲げられています。

神々がこの地球という球の上にどれだけ長く私を置いておくつもりなのか、私にはわからない。私達は永遠ではなく、けれども瞬間瞬間は永遠だ。人が求めてやまない無限というものに対して、音楽はたぶん一番強い見えない結びつきを持っているのではないだろうか。受け取り、心や体や気持ちを暖かくするすべての手段を使って、私たちは音楽を大事にしなくてはいけない。

日本は世界中で一番進んだ国ではあるけれど、こうしたものを大切にすることを、私は日本に望む。芸術や演劇や音楽や文学や記憶といった、世界中の機械文明より力強いものを通じて、豊かな過去の遺産や高貴さといったものとのつながりを日本はなくさないでいるだろう。

日本よ永遠なれ!

こうした精神的な部分だけでなく、猛スピードで走るタクシーや、滞在しているホテルの部屋の窓から見る富士山も好きだと記されています。
ギトリスが日本に対して並々ならぬ愛着を抱いていることが伺われます。
彼が体調を回復させ、なんとか次の来日公演を実現する日が来ることを信じたいです。

ギトリスの演奏スタイル

彼の演奏法は個性の強いもので、テンポを揺らしたり、強くビブラートをかけたりする点に特徴があります。
20世紀後半になってからはこうしたスタイルを採用するヴァイオリニストはほとんどいなくなり、コンクール向けとでもいうのか、楽譜に書かれた音符を正確に音にすることを重視した演奏が盛んに見られるようになりました。
そうしなければ確かにコンクールで上位入賞は厳しくなり、となると音楽を専門とする学生の学修スタイルも、彼らを指導する教員の教え方も「ノーミス」を意識したものとなってしまいます。

また、時代の流れで聴衆の好みも変わってきたということも無視できないでしょう。

このような時流にあって、ギトリスは際立った個性を放つヴァイオリニストとしてきわめて貴重な存在であるといえるでしょう。
例えば「G線上のアリア」。一聴すれば昨今のスッキリとした、まるでガラスとプラスチックを思わせるような軽くてスマートな演奏スタイルと真逆であることがお分かり頂けると思います。

ひとつひとつの音は綺麗ではないかもしれません。しかし彼は「魂と弦」の冒頭でも「美しくてまちがった音は、いわゆるきちんと正確な何千もの音符よりも価値がある。少しもばい菌が入っていない病院のなかのような規律正しい演奏は良い感覚の証ではない」と述べています。
「G線上のアリア」は、彼がそうした信念を実践していたことを裏付けるものといえます。



このたびは、きわめて貴重な個性――しかも一流の――を実演で聴く機会がひとつ失われてしまったことが残念でなりません。
96歳と高齢を押してまで来日を目指そうとしたギトリス。ご健康をお祈りいたします。


参考文献、参考音源: