こんにちは! ぼくは友だちいないマンだよ!\(^o^)/ 
ぼっちだよ!\(^o^)/ 
今日は懇親会や飲み会でぼっちになる話をするよ!

yakiniku_party


懇親会でぼっち

懇親会でぼっちになる人たち 「仕事で行ったなら話すべき」との批判もというニュースを見つけてしまいました。
これによると、20代男性の場合35.1%の人が懇親会で誰とも喋らなかったそうです。

友だちいないマン(ぼく)も、「飲み会は卒業だ!!」と固く決意していました。
ところがその決意はもろくも崩れ去ってしまいました。職場の懇親会があり、なんとなく出なくてはならないような雰囲気がしていたのでつい「出席」に丸をつけてしまったのです。

今にして思えば、鉄の意志、否、鋼の意志、否、金剛石の意志で欠席すべきでした。


懇親会で誰とも喋らない

懇親会の様子を図で表現してみましょう。

人 人 人 人 人 人 人 人
人 人 人   私   人 人

こんな感じです! 
友だちいないマンの周りだけポカッと空間ができていますね! ほぼ毎回こうです! \(^o^)/オワタ


なぜ懇親会でぼっちか

理由は「話についていけない」「ついていく気がおきない」、これに尽きます。
「北海道の旅行がステキだった! 旭川は〇〇ホテルがおすすめ!」
懇親会で出てきがちなこの手の話に友だちいないマンはついていけないのです。

ブログの記事のところどころでイタリアやフランスの写真をポストしています。
これは友だちいないマンが撮影しました。

数年前までは(友だちいないので)一人で外国に出かけていました。
ところが、ある日を境に友だちいないマンはフルマラソンを完走することやバッハの「無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ」を弾きたい、という意欲がメラメラと沸き立つようになってしまいました。

そうなると、日々の暮らしは、何かを「見る」のではなく自分が「する」ことにシフトしてしまいました。
ミケランジェロの作品を「見る」、プロ野球を「見る」のではなく、自分なりにバッハを「弾く」、たとえ無理でも自力で「走る」。心身ともに健全でいられる期間は限られますから、貴重な時間は「する」に費やしたい。

こう思うようになったのです。

・・・こうなると「あのレストランおいしかった」「北海道ステキだった」式の話は「見る」で溢れかえっているように聞こえてしまい、もう話についていこうという気が起きなくなるのです。
それどころか、この手の話についていくのではなく、むしろ遠ざかるべきだ、という気分にすらなるのです。
「ああ、この飲み会で2時間使ってしまった。しかし2時間あったら20km走れただろう」とすら思ってしまうのです。


友だちいないマンは日々の努力を大切にしている

しかし、他の人にとっては「何を好き好んで、辛い思いをして走るのか」としか思えないようなのです。

友だちいないマンは、日々の努力を重んじています。
毎日何かしらの積み重ねをしていない人と付き合うことは、自分を低い方にチューニングしてしまうこととイコールですから、そういうつながりを作りたくないのでした。

これは何かに意欲を燃やす人なら当然のことだと思います。
しかし、あなたはきっとお気づきでしょう。
こうした態度はややもすれば独善性とも結びつきがちだと。

だから友だちいないマンはぼっちなんですね。

こうして友だちいないマンとその他の人の距離は果てしなく広がりつづけ、懇親会ではぼっちになってしまうのでした。
仕事の延長なので割り切って何かしら話に合わせるべき・・・、いえ、少しずつそういう前向きな気持ちもすり減って行ってしまいました。悲しいことです。


飲み会や懇親会の類が嫌いな皆さん。欠席したくてしかたない皆さん。
NOと言う勇気は必修科目ですよ!